私が「カーブス」に入会したのは「あすみが丘(千葉県千葉市)」にオープンして間もない時期でした。近所の友人の誘いで「痩せたい」という気持ちの一心で入会したのを記憶しています。当時は、子育て、家事、仕事の両立で追われていた毎日。週2回通えれば良いほうでしたが、疲れているからこそ体を動かす大切さを初めて学ばせていただいた場でもあります。
40代半ばで入会した当時の私は「更年期」「子宮筋腫」「胆石」「高血圧」「肥満症」の5本柱。某大手飲食企業の本部に勤務しており、仕事上「食べてリサーチする」事も仕事の一つだった為、徐々に成人病も増えて、突発的にけがをすることも多々ありました。それが積み重なったのか、50代に突入すると同時に通勤中の事故によるけがが原因で「変形性膝関節症」も患い、大手病院の整形外科への通院する機会も増えたのです。水を抜いたり、ヒアルロン酸注射を打っても、歩き方自体が不自然になり、仕事もクライアントへの出入りを禁じられて、結局好きな仕事から離れる事に。1年程休養してから、自宅から近くの官公庁のコールセンターでパート勤務もしましたが、そこでも「脚」の事をターゲットにされ、モラハラを受け軽い「鬱」になったのが、私にとって「鬱」と「膝痛」との闘いの日々が始まったのです。
官公庁のコールセンターを辞めてメンタルクリニックの医師から「鬱」と診断されてから、徐々に食事が喉に通らない日が増えました。カーブスも休会し、家から全く出ない日も増え、自宅の中を歩くのも辛いと感じるようになり、2カ月で寝たきりの生活が続きました。主人も心配してテレワークを増やしてくれたり、身の回りの世話をしてくれましたが、作ってくれたお粥すら2口食べればよいほうでした。自宅で1人ベッドの上で天井を見ながら「どうしたら死ねるのか」「どうやったら楽に逝けるのか」そればかり考える状態にまでなってしまったのです。70後半の実母も随分泣かせてしまい、悪いと思いながらも、家族とのコミュニケーションを取るのも、拒絶し、テレビも見ず、ただただ天井と窓を見ながら過ごす日々。在宅ケアのクリニックから点滴を週に3日打ちに来てもらうほど、症状は進み、夏に「鬱」と診断されてから4カ月経ち、秋も深まってきたころ、遂に大手病院の精神科病棟に入院することになったのです。
精神科病棟は、鬱以外にも、重い精神病に罹った患者が大勢入院しており、入院した当初の私は、個室で過ごし、車椅子で移動する生活でした。入院後も流動食すら喉に通らず、点滴を24時間打つ毎日。看護師さんたちも心配して「食べないと、そのうち鼻から管を挿管することになるよ」とも言われ、頑張って食べようと努力もしましたが、半分食べるのが精いっぱいでした。髪の毛はボサボサ、次第にやせ細り、皮膚に皺ができる程、私の身体は悪化していったのです。
精神病棟での治療法は、医師、看護師さんに加えて、心理カウンセラーの先生も毎朝来て集団療法もします。歌を歌う、キャッチボールをする、習字、コラージュ、塗り絵、小物づくり、ネイル、散歩など、手先を動かしたり、声を発して、気分転換を図るものです。最初はそれらを拒否していた私ですが、入院して1カ月半経ってから、ようやく食べる意欲も徐々に取り戻し、集団療法にも参加できるようになっていました。クリスマスや正月には自宅への外泊もできるようになり、生きる意欲も湧いて、担当医師からも退院後の復帰に向けてのレクチャーを何度も受けました。それは今思い出すと、精神科医でも超エキスパートの医師が忙しい時間を割いて、週1回も特別に丁寧に指導してくれたという事に、頭が下がる思いです。主人も出張が多い中、週に3回、着替えを持ってきて、様子を見に来てくれたこと、年老いた母も、元気づけようと寒い中、まめに足を運んでくれて、今思い出すと「感謝」の言葉に尽きます。
梅の花が咲くころに、リハビリテーション科で歩行訓練を毎日受け始めました。一度は「私はもう死んだ」と思っていたのが「生きたい、歩きたい、普通に生活したい。もう一度カーブスで体を動かすようになりたい」と考える事ができる段階まで、回復していました。桜が満開のある日、担当のリハビリの先生と杖をつきながら、病院の中庭を歩いていました。花弁がひらひら舞い散る中、青空を見上げて「もう一度やり直そう」と決意したのです。
「カーブス」休会中、スタッフの皆さんからお手紙をいただいたり、電話をいただいていながら、その事に対してもレスポンスできなかった私ですが、退院してから自宅で療養しながら、延期にしていた脚の手術も再調整し、オペに向けて筋トレを再開することにしたのです。9カ月ぶりにカーブスへ戻った日、スタッフの皆さんに「お帰りなさい」と温かく迎えてもらった事は、記憶に新しく、手術をすることに向けて、手厚くサポートしていただきました。
空白の9カ月。それは、私にとって3年分の長さにも感じました。積極的に友人にも会うようになり、カーブスには週4回通い、精神科から退院した7カ月経った初冬に再び「左膝骨切り術」を約2時間半に渡って受けました。膝下の骨を一旦切断し、人工骨を埋め込みO脚をX脚に修正し、軟骨の減りを軽減させる手術です。人工関節はリスクが高い為、この手術を選びました。手術後の痛みは想像していたよりも酷い痛みで、痛み止めも全く効かず、七転八倒の痛みを3日間でなんとか乗り切り、1カ月半、辛いリハビリも克服し、杖なしで退院するまでに回復できたのです。昨年の年末には、そのプレートとスクリューの除去オペも受け、今、再び毎日カーブスに通う事ができる私にとって「とても幸福な日々」を送っています。
更年期と鬱と膝痛。この4年間は、修行の毎日でした。でも「克服できたのは、周りで支えてくれた家族、友人、病院の医師、看護師さん、そして、カーブスのスタッフの皆さんや、カーブスに通うメンバーの皆さんの励ましの言葉があったからこそ、乗り越えられた」そう切に思います。
今、「更年期」「鬱」「膝痛」「腰痛」「成人病」で悩んでいるメンバーの皆さん、自分が患っている症状、病気は恥ずかしいものではありません。私のようになる前に、家族や友人、カーブスのスタッフの皆さんに話してみてください。きっと、前向きに生きられる方法が見つかります。普通に生活する事。それは、私にとって、最も大切で、大変な事なんだと改めて思います。
私がカーブスを続ける理由。それは、私のためだけではなく、家族のため、私を支えてくれる全ての人の為なのです。波乱万丈な更年期も、そろそろ終わろうとしています。「普通」に生きる、生活する...。当たり前だと思う人が大半だと思いますが、普通である状態を保つのは難しい事なのかもしれません。カーブスに入れない人にも、筋トレの大切さを伝えることも14年間カーブスを続けてきた私の使命だと思ってます。
余生を充実させる為にも、死ぬまで「カーブス」、死ぬまで「勉強」。私にとって一番重要な事!改めて思います。「抗うつ剤」の副作用で15kg増加した体重ですが、この1年間で15kg減量することも成功しました。目指すは、20代後半の体重に戻す為、あと10kg減量。マイペースに頑張っていこうと思います。
入賞
「「鬱」「変形性膝関節症」との闘い「1400日」」
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