それは、突然起こった出来事であった。
この日、私は通勤の帰りのバスに乗って自宅に帰る時であった。この日、5年前の10月であった。

私は、いつものように仕事を終えて職場近くのバス停からバスに乗って自宅近くのバス停まで帰ろうとしていた。そして、バスが自宅近くのバス停に到着した。私は、いつものようにバス停を降りていた。そして、信号のない横断歩道を渡ろうとした時に悲劇が起こった。

この時、10月は日が暮れるのが早く暗くなるのが早い。私が渡ろうとした横断歩道は、島原方面から行く車は見えるが、有家から島原方面に行く車は、見通しが悪くはっきりと見えないことがある。私が横断歩道を渡る時は、小雨が降っていたため傘をさしていた。

そして、事故が起こってしまったのだ。

私は、救急病院に搬送されて意識不明の重体で運ばれたそうだ。そして、私が目覚めた時は救急病院にいた。救急病院には、家族以外にも主人の妹たちと近所に住んでいる主人の伯母と従兄弟夫婦が来ていた。みんなが私に「誰かわかる?」と聞いてきていたので、それぞれに答えていた。そして、私が自宅近くのバス停で事故に遭ったことを初めて知った。

それというのも長崎のニュースで取り上げられるほどの大事故だった。それだけに、家族以外に妹夫婦たちと伯母そして従兄弟夫婦が来るという大騒ぎとなっていた。このことは、同じカーブスに来るママ友Yさんと長男の担任をしていたA先生の耳に入った。とくに、Yさんは私の長男YがYさんの息子Hくんと親友同士であった。そのHくんが、Yさんに言ったそうだ。「Yの母ちゃんが事故に遭ったよ。バス停の横断歩道を渡っている時に車に撥ねられたよ」Yさんはビックリしてテレビを見たそうだ。このことは、私の通っているカーブスに情報が入ったそうだ。

私の意識が戻ったのは、事故に遭った日から日付が変わって午前1時近くになっていた。救急病院からの説明では、病院での処置が難しいと言われたそうだ。そのため、長崎空港近くにある長崎医療センターという病院に搬送されることになった。搬送されるのは救急車ではなく、ドクターヘリでの搬送になった。
主人と一緒にドクターヘリに乗った時だった。この時の私は背中が痛くてドクターヘリから降りたいと思っていた。付き添いできた看護師さんが、「もうすぐ着きますからね」と励ましていた。そして、長崎医療センターに到着してから大きな手術が待っていた。

それからの手術のことを説明する前に、私がカーブスに通うことになったことを話したいと思います。私が、カーブスに通うことになったのは、主人がカーブスのテレビ放送を見ていたことがきっかけとなった。はじめは、無料体験レッスンから始まってからカーブスに行くのが楽しくなった。当時、カーブス島原北門店に籍を置いていた。この時の私は、電話オペレーターの仕事に四苦八苦していた。そんな時に、カーブス島原北門店のコーチが電話を入れてくれたことを覚えている。

それでは、事故の話に戻すことにしよう。長崎医療センターに入院した私は、骨盤と左膝に金具を入れる大手術が待っていた。手術の日は、家族以外に親戚が見守っていた。手術をしてから4人部屋に移っていた。他の患者さんとお友達になってクリスマスを一緒に過ごしたのが楽しい思い出になった。

大手術の後の私は、少しずつ筋力がついた。それは、毎日寝たきりとなった私にリハビリを施してくれたことで車椅子での移動が可能となった。はじめは、片足で立つことから始まった。それができた時から今度は平らな所から立つことになった。そして、立てることができたことで歩行器を使って歩く練習をしていた。そして、退院となった時には杖を使って外を歩くまでになっていた。

「もう歩けないのなら死にたい!」と、看護師さんに言ったことがあった。看護師さんが本気で怒って、「死ぬなんて言わないで!」と言ったことを忘れない。あの時の看護師さんの言葉が自分で歩く勇気をもらったと私は感謝している。

そして、退院をして通院リハビリを受けることになった。はじめは、杖を使って歩けなかったが、自然に杖なしで歩けるようになっていた。4年前の2月に退院をしてからは、近所にある整形外科で1年間通院リハビリを受けた。そして、リハビリと並行してカーブスに通うまでに回復していた。

カーブスに通うことになったことを喜んだのは、YさんとA先生であった。そして、入院中に心配をしてくれた次男の担任のI先生がお見舞いに来てくれたことも忘れてはいけない。「Kくんは、頑張っていますよ。勉強もテニスも頑張っていますよ」そう言ってくれたことを忘れない。そして、私の入院中と退院をしてからも助けてくれた次男Kのテニス部にいたお母さんたちには感謝している。そして、私自身がカーブスに通うまでになったことを喜んでくれた島原北門店のコーチの皆さんと仲間たちには感謝している。

あれから月日が流れて事故から5年が過ぎた。私は、南島原有家店のカーブスに通っている。コーチの明るい声に元気をもらえている。「ゴールドカード、おめでとうございます」コーチからゴールドカードをいただいたときはとても嬉しかった。

そして、カーブスを続けたことで奇跡が起こった。それは、事故で曲がらなかった膝が曲がった。「膝が曲がっている」ビックリした私は、膝の曲げ伸ばしを繰り返していた。「継続は力なり」という言葉が出ていた。

カーブスに通って6年になった。運動が苦手だった私も続けることができた。これから先も続けていきたい。また、職場に復帰したことを喜んでくれた上司とオペレーターの仲間に、ありがとうと伝えたい。

これからもカーブスを続けていきたい。膝が曲がったことで私に生きる希望をもたらしてくれたカーブスに感謝します。