六年前、夫に先立たれ、子供は関東在住、ひとり暮らしになった私は、人に迷惑かけずきちんと生活しようと決心しました。当時、隣にある町内公民館で日舞を習っていましたが、スポーツも何かやってみるのもいいのではないかと思うようになりました。たまたま新聞のちらしでカーブスの存在を知って体験に行ってみました。コーチがやさしく対応してくれて、とにかくやってみようと思いました。数年前から変形性膝関節症だと診断されていて、筋肉をつけることが大事だと言われているし、筋肉をつけるのには、もってこい。高齢であっても大丈夫だとわかり、入会を決めました。
始めはマシンの使い方がうまくいかず、戸惑うこともあったのですが、コーチや仲間のおかげでだんだん慣れてきて、終わって帰るときはからだが軽くなっていてうれしくなりました。それでも往きは我が家から15分徒歩、25分市電。帰りは徒歩10分、バス15分、徒歩8分の交通時間が少々苦痛でした。でも、ものは考えよう。歩くのも筋肉つけるのに大事だと思えば許せます。それに、この教室のむかいは熊本で唯一のデパートで、買い物に便利、楽しみにもなります。
カーブスに通いだして1年4か月過ぎたころ、左下肢静脈瘤が見つかり、内視鏡の手術を受けました。経過もよく、2週間後にはワークアウト再開。その頃膝の痛みは続いていたが歩くのに不自由はありませんでした。ところがある日、バスを降りたとたん激痛が走り、やっとの思いで家にだとり着くというハプニングもありました。検査の結果、半月板損傷の診断がくだされました。11月のことです。激痛はおさまったが、痛みは強くなったり弱まったり。膝の関節症がなおるわけではないからでしょうか、先生はあまり勧められませんでしたが、手術をお願いしました。翌年4月半ばの予約になりました。
ところがなんとその日の前日、あの恐ろしい熊本大地震に見舞われ、手術どころではなくなってしまいました。我が家は半壊、石垣も少し崩れました。二晩、近くの小学校に避難、教室の板の床の上に薄い毛布を敷いてやすみました。和式トイレとともに、膝にはこたえました。
心配した娘夫婦が航空機とレンタカーを乗り継いで迎えに来てくれ、私は娘の家で過ごすことになりました。
我が家を長期間留守にする不安を感じ、床に散乱している食器など片付けねばというあせりも生じました。少しは体操したりストレッチしたりしましたが、カーブスのワークアウトには程遠く、筋肉が落ちるだろうなあと心配しました。そして、2週間後帰宅。それから2週間後、内視鏡による半月板損傷の修復手術を受けました。3週間後ワークアウト出来るようになりました。
軽いものではありましたが、2回の手術とも回復が速く、なんの問題も起こらなかったというのは、カーブスでの鍛錬のおかげかと思っています。その後は週2回か3回の割りで通い続けています。そして2年ほど前から膝の痛みはほとんどなくなりました。嬉しいかぎりです。
旅好きな私は、まだ行ったことがなく、しかも割安に行ける所に照準を合わせて、目的地を選んでいます。直近では、2月下旬コロナウイルスにおびえながらも、バリ島、ジャワ島観光に行きました。添乗員つきのツアーで、総勢14名。この年になると、共に行く仲間もおらず、私は一人で参加しました。あろうことか現地に着いてすぐ、空港のエスカレーターで、バランスをくずし膝をついて起き上がれません。一瞬この先どうなる?と不安がよぎりましたが、添乗員さんに抱え起こされ事なきをえました。旅の間には、4、5千歩ほど歩くこともありましたがなんとかついていくことができました。参加者のみなさんも段差の高いところで引き上げてくれたり、荷物を持ってくれたりなど親切にサポートしてくれました。おかげで、樹樹の緑、カラフルな花、美しい海、歴史ある寺院等々、観光を楽しむことができました。
ここでもカーブスに通っているおかげだろうと痛感します。旅の参加者からは私の年齢を知って、「あなたみたいに年を重ねたい」と言われました。ますますカーブスがやめられなくなりました。今ではまさしく生活の一部になっていると感じています。
以前は漫然とマシンを動かしていたのではと反省しています。腹圧を意識、筋肉を意識、だんだんと衰える運命にある体力を維持できるように、たんぱく質摂取も意識して、これからも筋トレがんばろう。
入賞
「筋トレがんばろう ー そして元気に楽しく暮らしたい」
カーブスって
どんな運動?