忘れもしません。平成27年11月24日、昨夜から降り続いた雪で一面銀世界の朝でした。いつものように起きいつものように歯をみがき左手に持ったコップを口に運ぼうとした瞬間、持ったコップが洗面台にポトリ「あれどうしたのかな」と思う間もなく左の足が床にヘタッと倒れていきました。ここまでの出来事は、私にしたらほんのまばたき一つのあっという間の出来事でした。大声で主人を呼び、左の手と足が動かないことを告げ救急車を呼んでもらいました。その間なぜか主人は私に水を飲めというのでコップ5~6杯は飲んだでしょうか。夫に支えられ階段を降りイスに座って救急車を待つ間「ああ私はこの先どうなってしまうんだろう。仕事は続けられるのだろうか。手と足は動くようになるんだろうか」と冷えきって感覚のなくなった手と足をさすっていました。運ばれた病院ですぐに検査、脳のMRI、結果下された病名は一過性脳梗塞でした。ふくらはぎからの血栓が心臓に出来たすき間を通って脳の血管を詰まらせたとの説明でした。幸いにもその詰まった血栓がすっとぬけたので今日はもう大丈夫だから帰ってもいいけど、二度目は大変なことになる可能性が大であるとのこと、そのまま一週間の検査入院をお願いしました。つらい検査、検査の日々、一週間が一ヶ月になっていました。 その結果心臓に問題があり栃木県でもまだ当時二例しかないというループレコーダーという機械を心臓の近くに埋め込む手術を受けました。初めての紙オムツ、車イス、私まだ64才なんだけど...切なさと恥ずかしさでただただ下を向くばかりでした。すっかり足腰が弱り私の筋肉は底をついていたのでしょう。慣れているはずの階段を踏み外し、膝に激痛。左足が右足の倍ぐらいに腫れあがり、座ることもできなくなり病院に駆け込んだ私に先生の冷たい言葉
「歳だからもうこれは治らないよ。水が溜まってくるようならもう一度来なさい。今は何もすることがない。サポーターも意味がないよ」
ため息しかでませんでした。このまま何もせずに悪化するのを持つしかないんだろうか。眠れない夜が続きました。
そんな時、深夜のテレビに映った女性だけの体操教室、そこには私と同じぐらいの方やもっと上の方など楽しそうに体を動かしている様子に、運動とはまったく無縁の私でもこれならできるかも知れない。それがカーブスでした。さっそく無料体験を申し込むと近所のカーブスを紹介してくれました。
約束の日おそるおそるノレンをくぐった私に「道に迷わなかったですか」と声をかけて下さった声に何かほっとしたのを、今も昨日のことのように思い出されます。スタッフの親切な指導で一週間の体験も終り、さっそく入会しもう一年。まだ一年ですが大きな手ごたえを感じています。
小さな変化、ちょっとずつついてきた筋力が私の宝になりました。どんな質問にも的確にアドバイスしてくれるスタッフの皆さん、ついつい慣れでフォームが乱れるとすぐに見つけ直してくれるスタッフ。一人ひとりの名前を覚え声をかけてくれるので「すごいね、メンバーさんの名前全部覚えているんだ」と言うとニコリと笑い「たまにまちがえますけどね」と答えてくれました。それがとても身近に感じられ「ああここは自然体で何も気取らず筋トレのできる最高の場所なんだ」と思いました。私は始めるのが少し遅かったけど十年後の私はもっと素敵な生き方をしているだろうと実感しています。
今も月に一度通院し血液の検査、心臓のチェック、血液サラサラの薬も毎日かかせません。でももう下を向いて生きていくのはやめよう、前を向いて生きていこう。私のような経験をした人は世の中には沢山いるはずだけど、私がカーブスに出合ってこんなに元気になったことは、誰のためでもなくすべて明日の自分のため。90歳になっても続けていたら最高ですね。もう一つ私がカーブスで楽しみにしていることそれはいろんなメンバーさんに会えることです。
カーブスのメンバーさんは本当に素敵な方がいっぱいいて自分もあんな風に歳を重ねられたらと目標にしています。背すじをスッと伸ばし懸命にマシンをこなしていく姿に見とれます。これからも私のとなりにカーブス有です。
顔友になったメンバーさんに「元気だね、あと一周できそうじゃない」と。また、一度も話したことのないメンバーさんに「前と印象が変わりましたよね。いつもニコニコして肌のつやもよくて私も頑張ろう、目標にしています」と見ていてくれる。気にかけていてくれる人がいる。その言葉が嬉しく今日もルンルンとカーブスを後にします。
筋トレとプロテインのおかげで左膝の半月板損傷も今は本当に気にならず、階段もスムーズに動けるようになりました。真岡荒町のスタッフの皆さん、メンバーさんずっと末長く筋トレおつきあいよろしくお願い致します。
佳作
「私の生き方を変えた脳梗塞とカーブス」
カーブスって
どんな運動?