三寒四温の季節、今日は久し振りの小春日和、そろそろ芽吹き始めた庭の草でもとろうかと外に出てみる。吹く風はまだ冷んやりと肌寒い。梅の花もほころび始め、小鳥がやってくる。ジョウビタキだ。「チッ、チッ」と掘り返えした土をつつきながら私の後をついてくる。「チッチッ」又鳴いた。「チッチッ」と返してみる。「チッチッ」と恐れる事もなく返事をしてくる。「チッチッ」「チッチッ」と一人と一羽で三十分近くも遊んでしまった。
 こんなおだやかで、楽しい気持になったのは何年振りだろう。

 夫が脳梗塞で倒れ、五年近くの自宅介護で身も心も疲れていた。気がつけば自分の身体も腰痛、股関節から足にかけてのしびれで寝返りもできず、もちろん歩く事もままならず病院へかけ込みました。病院では腰痛ですと言われ、湿布と填痛剤をもらうだけ、接骨院へも毎日のように通いましたが一向に快復のきざしもなく、朝・昼・晩と填痛剤の毎日でした。月日だけが過ぎていきました。
 友達が心配して「脊椎狭窄症かもしれない、病院を替えてみたら。」と言ってくれました。結果は同じで「湿布と填痛剤だしときます。」の言葉でした。
 車ででかけても座っている事が苦痛で、バス旅行や地域の行事等ほとんど参加出来ませんでした。
 このままでは夫と同じ車イスの生活になるのではないだろうかと落ち込み、不安と焦りの毎日を過ごしていました。
 一年ほど過ぎた頃、湿布で腰痛がなおるはずがない。根本をなおさなければと考えるようになりました。そして根本とは何か。それは筋肉が弱っているから腰痛になる。弱っている筋肉を鍛える事だと思いました。
 そう考えた時に以前働いていた職場の隣に「カーブス」があった事を思い出しました。その時は「カーブス」が何をするところかしりませんでしたが、いつも軽快な音楽や笑い声がきこえていました。入口にはマシンを使っている人、それをアドバイスしながら見守っているコーチ、筋肉はなぜ必要か、どうやったら鍛えられるのか、又どんな効果があるのか等々、ポスターやTVモニターで様子が写し出されていて、ちょっと興味がわいてのぞいた事がありました。夫の病で仕事をやめ「カーブス」の事も忘れていました。
 数日後、私は思いきって「カーブス」のドアを開けていました。
 担当のコーチは優しく丁寧で、教室も明るく楽しそう。もともと身体を動かす事が好きだった私は、一日体験を行い、筋トレの大切さを改めて痛感し、筋トレの一歩を踏み出しました。
 コーチ達の丁寧かつ適切なアドバイスに、私も聞き漏らすまいと一心にマシンを動かしカーブス歴三年、今では前述の様に草取りも楽しめる様になりました。
 腰、足の痛みもほとんどなくなり、体重、体脂肪、ウエスト、下腹、その他もろもろがマイナスを示し、体力年齢五十代前半、外科の先生からは「骨密度はめったに増えないのにわずかだけど増えてるよ。どうしたの。」と言われました。「カーブスに行ってます。」と胸をはって答えました。「その調子で頑張りなさい。」と言われました。
 今では「カーブス」へも片道三十分位ですが歩いて通える様にまでなりました。昨年の十月には北海道旅行で二週間歩きまわりましたが何の心配もなく楽しんできました。
 又気持もポジティブになり、メンバーさん達とも話せる様になりました。
 三年前の私からは想像も出来なかった事です。
 本当に今では「カーブス」は生活の一部となり、日々身体の変化に自分でも驚いています。
 "身体が変われば心に変わる"
 "モチベーションが変わると人生が変わる"

 夫も他界し、二月に三回忌を終えました。私も喜寿を迎え、更なる目標を米寿と定めました。十年後の自分はどうなっているかわかりませんが、「継続は力なり」です。