桜の花がまだまだ咲く気配も見せない北海道の遅い春のとある日に、私とカーブスの出会いがあった。元々、カーブスの存在は以前から知っていた。
中標津の町にカーブスの建物が建築されていた時、あっ、とは思ったものの、なかなか自分から足を向けるには、勇気がいるというか何というか。気にはなっていたが、ついついそのままに。で、そのとある春の日、ショッピングセンターに入った時に声をかけられたのがカーブスのコーチさん。もともと興味はあったので、こうして声をかけられたのも何かのご縁? と思って、とりあえず体験に行くだけ行ってみようと決心。もし覗いてみて自分には合わないなとなったら、それ以上深入りしなければいいんだという軽い気持ちで。約束の体験の日。私についてくれたコーチはとても感じが良くて、私は初めての場所ということもあって多少の緊張感もあったのだが、コーチの優しい感じに和まされて、そこから私のカーブス生活が始まった。
 実は私は、2年前まで夫と一緒に酪農を営んでおり、農家に嫁いで31年間、牛と共に生きる人生を送ってきた。諸事情あって離農はしたが、今から4年前に、仕事中、ロールにした牧草2段積み、高さにしてみれば2m40㎝の高さから転落し、病院に緊急搬送。
大腿骨の粉砕骨折で、「重症です、手術です。」の診断と共になんと2か月半の入院を余儀なくされた。骨折は生まれて初めてだったが、でも治ればまた前と同じように歩けるものだと簡単に思っていた。しかし、現実はそう簡単ではなかった。まず、転落で体が地面に叩きつけられたことで、骨のみならず筋肉も損傷したらしく、手術そのもので筋肉が傷ついたこともあってか、術後すぐに始まったリハビリを続けても、骨折した側の私の膝は、まっすぐ伸びた太い丸太のように、まったく曲がる気配を見せない。我ながらこんなことってあるのかと信じられず、元の健康だった頃の歩きができるのかという大きな不安が襲い掛かった。それでも何とか杖を使っておぼつかない歩きで退院することができた。それからしばらくは牛舎の仕事には出られなかったが、夫とアルバイトの酪農実習生にかかる仕事への大きな負担を考えると、いてもたってもいられずびっこの足を引きずりながら、牛舎用のつなぎに着替えて、仕事復帰を果たした。そして長い時間をかけて、なんとか見た目には普通に歩いているようにまで回復し、その後離農。
離農して約1カ月後には、農協経営のスーパーにパートとして働き始めたが、その頃から徐々に、しかし思い返してみるとあっという間に、6㎏という重みが体に加わった。長年続けてきて慣れた酪農という仕事が、いかに重労働だったかを思い知らされた体重増加だった。 パートタイマーの仕事も私の年齢にしてみれば確かに疲れる。楽をしているつもりはないが、なかなか体重は元に戻ってはくれない。そして職場の健康診断では、メタボの可能性を指摘され、おまけに生まれて初めて血糖値が高いかも?、肝機能障害があるかも?、とも言われ,機会があれば一度再検査をとのコメント付き。これもあれもきっともう少し体重を正常値に戻し、いろいろなところにかかる負担をなくせば、もっといい結果がでるのだろうなと感じている。
カーブスに通い始めてもうすぐ1年。なかなか体重は思うようには落ちてはくれない。でも、筋肉をつけているんだ、そのために定期的に運動をしているんだという思いが、日々の安心に繋がっていく。カーブスのコーチさんたちは皆優しくてフレンドリー。そんな彼女たちの対応が、継続へと導いてくれているのだと思う。成果がなかなか数字に表れなくても、サーキット後の気持ちのよさを感じると、さぁまた来ようという気持ちになるから不思議である。今でもチタンが組み込まれている股関節には、多少の違和感は残るが、サーキットをやめようとは思わない。
 私は元々何にでも興味を持ってしまうタイプの人間らしく、カーブスへの入会をあまり迷うことなく決めたのも、そんな好奇心旺盛な性格からかもしれない。その他にもカメラやガーデニング、料理、ドライブ、英会話など、やりたいことをやる時間はいくらあっても足りない。ちなみに、東京生まれで東京育ちの私は、18歳で車の免許を取り、東京で8年間、北海道に来て33年間ハンドルをにぎっているが、運転している最中に時折思うことは、自分て、生きている力が満ち溢れているなということ。これは自分を自慢に思っている訳ではけしてなくて、思うようにならないことも多々ある中で、生かされてことに感謝しつつ、いろいろな事に興味を持てる環境、周りの人間に恵まれていることへの感謝の思いだと感じている。そして現在、最も好奇心が向いていることはというと、実はとある通信の学生であり、目標とするものに向かって学びを続けていること。4年前から、そう、大腿骨骨折のケガを負った頃から、大学院の科目の単位をコツコツと取り、実習科目を除けば、あと1科目ですべての単位を修得したことになる。今はまだ正式な大学院生ではない。ただ単位を取っている選科生である。
しかし、今年の秋、2度目の全科生(院生)の試験を受験予定。全科生になって初めて実習科目も取ることができ、修士論文の合格を経てようやく修士課程修了となる。そして初めて、目標とする資格試験の受験資格を得るという、すばらしく長く、すばらしく無謀なチャレンジである。この年になって、と思う人もいると思う。自分自身、そう思う。けれど、一度人間に生まれたからには、「人生死ぬまで学び」というのが私の信条であるので、どんな小さなことでも、学ぼうという気力がなくなった人生など、自分で自分をつまらなくしているとしか思えないし、例えば毎日一つずつ漢字を覚えるとか、毎日一つずつ英単語を覚えるとかでもいい、学ぶという大袈裟なものでなくてもいい、何かに興味を持ち、それに気持ちを集中させていくことは、自分の生命力を高めていくものだと信じている。
勉強よりも友達作りや仲間作りでほとんどを過ごし、22歳で無事卒業した大学時代より、ほんとにこれが勉強したいんだと感じている今現在の方が、確実にたくさん勉強している。カーブスに通い筋肉をつけ、カメラを構え心動かされるものの瞬間を捉え、食べてくれる人のために料理のレパートリーを増やし、つたない英語でも外国人とコミュニケーションをとり、たくさんの花を庭で育て、行きたい所へハンドルを握り、そして未知なるものを学ぶ。こんな人間の在り方に少しでも近づけるよう、今日も私は、生命力を溢れさせながら生きているのである。