今から3年前、体調を崩した父は病院で検査を受けるとスキルス胃がんと判明。何もしなければ余命3か月。
母の電話越しの動揺は今でも耳に残っています。余りにも突然すぎる余命宣告に、3か月後に死んでしまうと本人に宣告するのは残酷。母や先生と相談し、胃を全摘すれば短くて6か月、長くて3年生きられるというアドバイスから、余命は告げず癌であることだけ宣告し、手術を受けるかどうかを本人に決めさせることにしました。前向きな父は癌と戦うことを決意。手術を受けました。
主治医の先生も驚く驚異的な回復力で、退院後自宅で療養。しばらくは調子が良かったのですが、ほっとしたのも束の間、病院では一切弱音を吐かなかった父は、吐き気と痛みとの戦いに母に当たるようになってしまいました。
きっと父は手術を受けてあとは回復を待つだけなのに、「どうして?」とどうにもならない心境だったのだと思います。夜中じゅう父の背中をさすり続けた母。「そこじゃない、もっとしっかりさすってくれ」と怒鳴り散らす父。温厚だった父が母にしか見せなかった最後のわがままだったのだろうと思います。私には、一切当たることがなかった父が母にしか見せなった一面。
だんだん母の顔つきが曇り、笑わなくなり「なぜそんなにお父さんは私を苦しめるの?」と泣き出すようになりました。そしてとうとう母は寝込んでしまいました。「食べたくても食べられない父の前では食事ができない」と母は食事も喉を通らず、どんどん痩せていきました。自宅療養には限界が来たと感じ、本人は帰りたくなかった病院へ再入院。「もう病院はいやだ」と泣く父に、「ならお母さんにあんなに当たらないで・・・」と口には出さずに心の中で叫び「ごめんね、お父さん」と私も涙が止まらなかった。
その2か月後、父は天国へ旅立ちました。
亡くなる前日、母が病院を訪ねると、父は鎮痛剤の影響でもうろうとしながらも、これ以上ない笑顔で母に笑いかけたそうです。まだ体調の戻っていない母は、「闘病中の苦労が一気に飛んだのよ・・・」と後で話してくれました。きっと父が最後に送った母への最高のプレゼントだったんだと思います。
父の葬儀も終わり落ち着いてきたと思いきや、9ケ月の闘病を支えた母の体調はなかなか思うように戻らず、口にする言葉はネガティブな事ばかり。すっかり体力も自信も失ってしまったようでした。
その後、私の住む御殿場へ引っ越してくることになり、私が12年通うカーブスの体験に誘いました。コーチたちが明るく優しく迎え入れてくれ、決して無理強いせずに無料体験を行ってくれました。ゆっくり、ゆっくり丁寧に母と向き合ってくれたおかげで、体を動かすと気持ちがとっても明るくなる事を体験し、母の口から「入会したい」と言ってきてくれました。
私がいなくても、一人で行ってもコーチたちが「喜美子さん今日も来てくれましたね。すごいすごい」と褒めてくださるので、友達がまだいなくてもとても気持ちの良い30分を過ごせていたそうです。
そのうち、マシンの動かし方も上手になり、汗をかくようになり、母が「カーブスが私の毎日の楽しみなのよ」と私に話してくるようになりました。
コーチにこう褒められたとか、隣の方と話をしてお友達になった・・・など毎日カーブスの楽しい話題が尽きません。カーブスが習慣化した母はどんどん体力がつき、6kmのウォーキングも平気で行うようになりました。
コーチたちが食事の大切さを常に伝えてくれている為、バランスの良い食事にプラスしてプロテインの補給、これもしっかり守ると体がどんどん変わってくるのを実感したそうです。
今、母はこう語ります。
「お父さんの闘病中、私は食事も運動も疎かになっていたから、考え方もマイナス思考になっていたのよね。やっぱり、筋トレをして汗をかく事と、食事をしっかりとすることで考え方がプラス思考になるのよ。昔は、仕事して体動かしているから筋トレなんて必要ないと思っていたけど、仕事と筋トレは全く別。仕事や家族の事で知らないうちにストレスを溜め、運動や食事が疎かになるから、体を壊してしまう人が多いのだと思う。私がそれを経験したからこそ、声を大にして言いたいわ。人生を楽しく過ごすには、筋トレと食事がとても大事だということを...」
体力に自信をつけた母は、「また働きたい」と言い出し、自ら求人雑誌片手に面接を試みました。73歳と言うだけで、「お歳がねぇ・・・」と断られることも多かったのですが、なんと「あーあ、こんなに動く人を落とすなんて全く残念な企業だわ」と笑い飛ばし、面接5件目にして「是非あなたに来て欲しい」と言って頂き合格しました。
面接の時に、母はこう話したそうです。
「私は73歳ですが、カーブスに毎日行っているので体力には自信があります。今までも職場ではチーフとして任され、いろんな仕事をして来ましたので働くことが好きなんです。何でも喜んでやりますから是非お願いします」と。
店主の方が母と同世代ということで、この元気の良さと足腰の丈夫さに驚いていたそうです。
仕事を始めてからの母は益々イキイキとし、「カーブスのおかげで仕事が忙しくても全然疲れないのよ。仕事終わった後にカーブスに行けるし、バランスの良い食事作りをしておいしく食べてそして夜はぐっすり。お休みの日は温泉に行ってゆっくりして。なんて幸せなのかしら?体が動くうちはお金の為だけではなく、人の役に立ちたいと思うの。だから、仕事を持つことはとても大切。筋肉はいくつになっても付くことを私が証明したわね。本当にカーブスのおかげね。」といつもコーチたちに感謝しています。
カーブス御殿場のコーチの皆さん、本当にいつもありがとうございます。これからもそういった元気な女性が増えていくことを願っています。
「介護をされない元気な体でいることが、子供達への最高のプレゼント」
この言葉が私たち家族の合言葉となり、代々伝えていきたいと思っています。
準賞
「いつか誰もが経験する大切な人との死別 ~父の末期がん闘病生活を支えた母。カーブスによって悲しみと苦しみを乗り越え73歳にして再就職を果たす~」
カーブスって
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