カーブスに通い始めて、今年で3年目に突入します。
長年の肩こり、腰痛は改善され、体幹が鍛えられて、猫背も解消されました。
自分の健康に、ようやく自信がつき、60歳を迎えて、いよいよこれから人生を楽しむ意気込みに満ち溢れていた頃でした。
突然、最愛の兄が、この世を去りました。
私は、自分でも驚くほどの深い悲しみと喪失感で、何も手につかない日を過ごすことになりました。
兄の入院中は、出来る限りのことをしてあげたくて、自分の楽しみに封印をして、尽くしました。
次第に弱っていく兄に対し、私が自分のために時間を使うことに、罪悪感のような気持ちがありました。
何かもっと、してあげられることがあるのではないかしら?そんな気持ちが頭をよぎり、自分を縛っていたのかもしれません。
兄には感謝することばかりで、恩返しがしたかったのでしょう。
そんなある日、カーブスのコーチが「次は、いつ来れますか?」と声をかけてくれました。
私は「分からない」と答えるのが精一杯。あまりのそっけなさに、事情を知らないコーチも、戸惑われたのではないでしょうか。
身近な人が苦しんでいるとき、人は誰でも少しでも力になりたいと思うものです。
兄の回復を祈りながら、思うようにならない毎日でした。
兄の見舞いの帰りに、久しぶりにカーブスに立ち寄ったことがありました。
しかし、今にも命が消えそうな兄を思うと、やはり運動をつづけることが出来ませんでした。
健康な身体は、心も健康であってこそのもの。車の両輪と同じです。
悲しみに覆われたわたしの心は、壊れてしまいそうなくらいに辛くて、
あれほど楽しかったカーブスに、寄り付くことが出来ませんでした。
その後、兄を亡くし、気持ちの整理が出来ないままでしたが、教室の階段を上りました。
どうしたことか、信頼するメンバーさんの顔を見たら、ぽろぽろと泣けてしまい
、その方の首にかけてあった汗まみれのタオルを思わず借りて、涙を拭きました。
「やっぱり、無理、通えないわ・・」動揺する心を抑え、肩を落として帰りました。
いつもなら、気持ちが沈んでいても、カーブスに行けば気が晴れて、力が湧いてきたものでしたが、
今回ばかりは、悲しみが深すぎて、まったく生きる気力まで、奪われたようでした。食欲もなく、元気が出ませんでした。
カーブスでいただいた冊子の体験を読んで「無理することはない」と自分に言い聞かせて、しばらく休息を取りました。
教室のドアを開けるまでに、ずいぶん日にちがかかりました。
はじめは、笑顔も乏しかったと思います。
しかし、次第に日常を取り戻し、生活が整ってくると、カーブスに向かう気持ちも、以前に近いものになりました。
少しずつ通い始めると、見慣れた教室の景色に安心感を覚え、活気あるコーチの声にほっとしました。
薄皮をはぐように、気持ちが穏やかになり、通い続けるうちに、
やっと自分のために健康な身体を取り戻そうという気持ちになりました。
カーブスには、私の居場所があります。
わずか30分の滞在時間ですが、日々の生活に彩りを添えてくれます。
心が沈んでいた頃はしばらく遠のきましたが、久しぶりに空けたドアの向こうは、
何ひとつ変わらない安心できる日常が待っていました。
屈託のない笑顔のコーチ達。親しく声をかけてくれるメンバーさん達。
人生には晴れの日もあれば、激しい嵐の日もあります。
今日は止まないように思える雨であっても、いつか太陽が顔を出す日がやってきます。
明日も元気に輝ける日を目指して、私は今日もカーブスのドアを開けます。