子供の頃からぽっちゃりだった私。年令が二桁になると50kg超。身長は中1で頭打ち。その後は体重は増える一方。高校生の頃には最高体重66kgを記録していました。コンプレックスの固まりの暗い青春でした。やせたいと酢を飲んだりしてみましたが、当然効果なし。つまりダイエット歴40年超です。親元を離れての一人暮しの学生時代、何もしないのにすっと10kg減りました。欲が出て意識的に6kg減量し、結婚した時は50kg。その後ずっと52~3kgで経過していました。
2000年、脳動脈瘤の手術中に脳梗塞となった私は左片麻痺の障害者として生きることになったのです。46才でした。
それから約8年、職種を変えてもらい、なんとか仕事にしがみついていたけれど、求められていることをこなすことができず、後悔することばかり。能力がないと身に染みて退職しました。2008年4月でした。
なにもかも自信のない状態で家に引きこもっていた間に体重は増え体形はぐずぐず。髪も顔もガサガサ。背中にもみっしりぜい肉が乗って猫背にみえる程。下着もくい込んで段々になっていました。気持ちも含めて全体的にドヨンとしていました。
これではまずいと思ってもテレビのダイエット番組で紹介される運動は麻痺のある私にはできません。そんな時に新聞の折り込み広告を見たのです。
入院中、リハビリ室に初めて行った日に訓練士さんから「平塚さんは太り易い体質ですか」「太ってはだめですよ」「動けなくなりますよ」と言われた言葉。そのニュアンスまではっきりと覚えています。動けなくなるのは絶対にいやだ!
医療保険によるリハビリは発症から半年で対応してくれなくなったので体を動かす機会はなくなっていました。
で、広告です。「どなたでもできる運動」と書かれています。その「どなたでも」に私もはいっているのだろうか。電話する決心をするまで約1ヶ月。ドキドキしながら電話し見学へ。
「他のお店には障害者の人も来てますよ。お医者さんの許可をもらって下さい」と言ってもらいました。体験が終わってドアを開けて外に出た時「ああ気持いい」と口から出たのです。運動嫌いの私にとって始めての経験でした。
次の受診日に「先生、私カーブスに行きたいのです」というと「ああそれはいいですね」と。それで利府店オープンの年の12月から通い始めたのです。
最初は1対1で対応してもらいました。マシンは使わずサークルのまわりを歩くだけでした。
それでも2ヶ月くらい経つと「私、音楽に合ってきた」と気付いたのです。そして下肢のマシンから一台一台とできるものを増やしていきました。どのくらいだったか忘れてしまいましたが普通に通うことができるようになりました。今でも私の後が1個あくように配慮してくれています。マシンの乗り降りに時間がかかり、次の人をお待たせするためです。空いた時間をねらって行くようにしていますが、いつもという訳にもいかず、周りのメンバーさんに申し訳ないなあと思っています。
「あんた、歩くの早くなったな」という夫の言葉が最初の家族の評価です。半年位、経った頃だったでしょうか。
今でもストレッチも3番8番は立ってはできません。
まわりのメンバーさんから「良くなったね」と言われます。動きが上手になったのであって、麻痺が軽くなった訳ではないとわかってはいても嬉しいものです。
3年目位だったでしょうか、久し振りに会った人に「雰囲気変ったね」と言ってもらったのです。計測ではあまり結果は出ていなかったので、数字に現われない良い変化もあるのだとその時わかりました。二年前からプロティンも飲むようになると、髪の質も良くなり、顔のしわも薄くなったように感じます。
子供の頃、体育の時間に泣いていた私は、生まれてはじめて定期的に運動しています。長年の目標体重の48kgには到達しそうにないけれどあこがれの体重としてずっと目標に置いておこうと思っています。案外、今ぐらいが私の身体にとって丁度良いのかもと思ったりして(言い訳です)。
今は週に2回、どうかすると1回しか行けないこともありますが、要支援2の義母、要支援1の実母と二人の母を支えるためにも私が元気でいるためにも、カーブスは必要な場所、貴重な場所なのです。
気付けばもう8年。その間、両親を近くに呼び、母も一緒にカーブスへ(母現在90才)そして地震。津波による娘の死。その夏の父の死。引っ越しと次々といろいろあったけれど、カーブスという支えてくれる場所があったことが救いでした。体を引きずり上げるように"行かなきゃ"という日も確かにありますが、行ってしまえば動けるものです。
2000年10月に左脚の装具と杖で退院してきた私でした。今は使ってません。ずっと服用していた血圧の薬も半分になりました。薬をのんでもなかなかという便秘も改善しています。
体重はたったのマイナス3kgだけれど数字以上に変った私がいます。
若い頃、介護職だった私は、風邪ひいて何日か寝ていただけで歩けなくなった高齢者を何人も知っています。筋肉の重要性は知っていたのです。でも実際に運動するとなると障害者の私にはハードルの高いものでした。カーブスのマシンだからこそ運動できるのです。他のメンバーさんと同じ動きができなくても筋トレの効果は確実にあるのです。
私が運動しているのを見たメンバーさんで「うちのお母さんも」「お姉さんも」「友達のあの人も」と思ってくれる人が一人でもいたら嬉しいなと思います。
これからも通える限りはカーブスとともに生きていこうと思っています。
私を受け入れてくれたカーブスに感謝しかありません。
佳作
「カーブスに支えられて私がカーブスを続ける理由」
カーブスって
どんな運動?