私がカーブスを続ける理由には、一年前に、あまり聞きなれない病気になってしまったからです。五年前、父が病気(持病)と介護を長女の私がみて働きながらの介護、何度もストレスからたおれて私は救急車で運ばれる。
そして、父は5年前に亡くなりました。そして、すぐには、おとずれなかったのですが、父が亡って、私は、ものすごいそうしつ感で何もする事もできず、カーブスに行く事もどうしても足が身体が一向に行こうと思わない状態が続き、ついには、うつ状態になってしまいました。なかなか父への死に対する事、現実が受け入れられなくて、毎日泣いてばかりの日々でした。そして、今度は、母親が、大動みゃく弁へいさふぜんしょうという病気で心ぞうの大手術をしました。そして、又介護、家に戻って来てから何も食べれなくなって、やせ細くなっていく母、又、再入院という事かと思ったら病院からのお話しで母を老健に入れなさいと。6ヶ月間入所させましたが、ストレスです。でも、母に対するストレスはマックス状態で、何をするにつけても、母の良い所はみれず、しゃべる事すらやで、仕方ない時がありました。今は、ディーサービスに週3回行ってもらっています。実の母親なので、おたがいいいたい事もいえて、私もけっこう強い口調でいってしまい、物にもやつあたり。でも今は、半分は、いうのもつかれてしまうので、50%は、イライラもしなくなりました。泣かせてしまった事もありました。母の心ぞうの手術は2-3年前、昨年12月の検査でもう、今の所どこも異常なしとのこと、元気になってくれました。自分の事は、自分でできることはやってもらうようにと話しあってやってもらっています。母が元気になってヤレヤレと思った矢先、母の心ぞうの再入院の頃イヤもっと前からだったんだと思います。
私の体は、ボロボロになっていったんでしょう。2014年1月貧血の検査をしたのです。
その時に、ヘモグロビン4.7。フラフラでした、家の中でも外でも目の前がまっ白に。家の中ではたおれてました。2014年11月にはじめ検査して輸血レベル、11月12月1月3ヶ月増血剤で12月30日には、どうにか普通の人のレベルまで上げて一度は貧血を治したのですが、2015年3月17日、貧血の検査をしました。
赤血球228、ヘモグロビン6.3、ヘマトクリット20.3
こういろいろカタカナで書かれても全く何がなんだか分からない自分です
もう「輸血レベル」だから、紹介状書くから今日の午後にでも私の知りあいに血液内科の先生がいるから行きなさいといわれ、その日の午後紹介状をもっていきました。
初じめの頃、どこからの貧血かというので胃カメラをのまされ、たしかに胃かいよう多発性ポリープができてました。悪性ではなく、増血剤をず~っとのまされていましたが、一向に息切れ、つかれ、だるさ、ボーっとする状態の自分、そして、2016年3月17日、マルク骨ずい液を採取しての検査、その結果が1ケ月位かかるとのこと、4月18日結果がでました。。
今の私は、(骨髄異形成症候群)MDS、気になれない病気
完全に治すには①骨ずい移植、②週に(毎週いっている今の治療方法)注しゃ2本皮下注しゃです。ものすごく痛い注しゃです③その注しゃで良くならないなら輸血④その他色々治りょう方法は、あるようです。
その病気は、一生の治療です。治らないとききました。
今は、朝5:00におきて、6:00すぎに家でて、毎週○曜日と注射を打ちにいっています。
10年間の内急変すれば急性白血病になる場合もあるといわれ、多分ならないでしょうとはいわれましたが、正直、初じめは、ショックでショックで、泣きました。仏様の父の写真をだっこして大泣きしました。「お父ちゃん死にたくないよ」~って。
でもとても良い血液内科の先生にめぐりあえて、私もなっとくいくまで色々きくし、先生も色々と、私の話に対して説明してくれています。
本当にヤレヤレと思っていた自分にのしかかってきたMDSなんでなんで私が...って思いました。もちろんカーブスもドクターSTOPされてしまい9ケ月位休みました。身体を動かしたい自分でも初じめの頃は、息切れもひどい状態だったので、コーチから一時退会できると聞いていたので。
そして、昨年先生に相談して「先生やはり身体を動かしたいんですが...」と、先生は、自分が苦しくないのならやってもいいですよと。そして、コーチへ、9ヶ月振り連絡をとり、また、12月~再開しました。
今は、前のようには、回数もこれてはいないですが、家の中にいてもダラダラで動かしているうちに入らない。とにかく、ふしぎと、前向きにポジティブに自分が自分でかわったのが本当によくわかっています。
病気になってしまったのは仕方がないけど、カーブスに行くと、本当に30分何もかも忘れてからだのあちらこちらの痛みもやわらぐんです。
家族の者も、カーブスに再開した事、一時母はしんぱいしてましたが、
「私は自分で自分の身体の事はわかる。だからカーブスに行きたいの。だから行かせて」と母に言った事があります。正直、病気になる前体重もたしかに落としましたよ。
病気をしてから細いというかやせて、ひとまわり小さくなった事は事実です。
でもメンバーさんからやせたねっていわれる事もあるけど、けして病気の事は、いわないですよ。筋トレのおかげかしらねって、いってます。
私は今年の5月でカーブス9年めです。
身体はおぼえているのですね。休んでいたのに、初めは、ぎこちなかった動きも今では、戻っているのです。だから実年齢より本当に10才は若くみられていますよ。
気持ちは若いですし、病気になんかまけないぞ、痛い注しゃもがんばるぞー。
今年は、カーブスショッピングでシューズと、ズボンも買いました。
コーチから○○さんやる気まんまんですね。コーチ達も皆、私の身体の事をいつもしんぱいしてくれて。ありがとうございます。私は治らない病気、いつ急変してもおかしくない今の身体ですが、カーブスに来て行けているだけ幸せです。
これからも筋トレして、若い気持ちを忘れずおしゃれでステキなかわいい年のとり方をしていきたいと思っています。
病気って分かって治らないんだけど、今沢山々本当に涙を流して自分自身押しつぶされた時があった。私は、離婚して、子供二人を育て、孫も二人いる。
今、なんか、とても楽しいかも。前向きになれた気がする。
クヨクヨ考えても一生がいの自分自身で血液骨ずいからつくれない病気と戦っていかなければならないだし、今まで本当に色々ありすぎて、それがあったから今が楽しい幸せなのかも。
佳作
「私が、「カーブスを続ける理由」」
カーブスって
どんな運動?