雨戸を開けると、目の前は白銀の世界。雪国で育った私にとって至福の朝だった。雪の中を歩きたくなり外出、そして転倒、大腿骨転子部骨折、入院は出来たものの、担当医が忙しく一週間後に手術、年齢の割には骨は良かったと言われ、術後三週間、綺麗に直しましたから大丈夫、自宅リハビリで頑張りましょう。リハビリの方法、生活に必要な動きかたを習い退院、三ヶ月過ぎても痛みが強く一歩一歩が大変でした。外出の時には運動靴を履いての一歩が出せず、自分の体重が乗るだけで痛みが走り、道路のデコボコ、斜めによろけ、自転車で追い越される時の風圧に転びそうになる。信号が青に変わってから歩き出しても遠い道程。絶望感に心が折れそうになっていた時、新聞のチラシでカーブスに目が止まり、家から歩いて十分位の所だったのでTEL、年齢、今の状態を伝えた所、優しく受止めて頂き、見学に来て下さいとの事、家から自転車を使って三十分位掛かりビルのドア前に急な坂が有り、唖然、これではとても無理かな?と思ったものです。それでもお話だけは伺ってと、恐る恐るドアを開け中へ、コーチの方々は優しく大丈夫、ゆっくりで良いんですよ、との事、自由な時間で毎日通っても良いとの答に入会させて頂きました。以来、日課となり、メンバーさんの迷惑にならない様、マシンの移動が目標で始めました。
周りのメンバーさんも優しく声を掛けて下さり、つまづきそうになるとコーチが飛んで来ます。心苦しく思いながらも皆様の優しさに支えられ一ヶ月位でマシンもニ、三回動き、移動、足ぶみがスムースに成り、半年位で足の痛みも和らいで来た様に感じました。普通に歩ける様に成る夢が持てるかも?楽しくやっていた卓球にも帰れるかも?と希望が湧いて来て、益々カーブスに通う事が楽しくなりました。
一年が過ぎた頃、今年の目標は?と聞かれ、家から歩いて通う事に決め、三十分位かかりましたが、意外と痛くなく歩く事が出来たのです。それに一年以上の間、風邪も引かなかったと気付き、持病としていた季節の変わり目に来る体調不良も少なく成っていました。次は階段に挑戦です。下りは恐さ、手摺に掴まり一段一段、意外と早く解消されましたが上りは右足の痛み、平地ではほぼ無くなっていた強い痛みが復活、筋力が付いたら直る、きっと直す、の一念で頑張り今は大分楽に成りました。痛みから解放されて来ると、今度は恰好悪く歩く自分の姿が気になります。身長が五センチも縮み、ウエスト近くがねじれていたのです。身体のねじれは正座が出来ずに、左崩しを二年近く続けていた為と思われ、右崩し一秒二秒、両崩し、の方法に変える様に心掛け、腹筋腹筋と唱える様にしました。続けていたら本当に腹筋が付いて来て、腰を真っすぐにしていた方が疲れなくなりました。
高尾山ハイキングの話が出た時には一番に参加希望を出し、電車で麓まで行き歩け歩けの行程、不安はありましたが帰りはロープウェーでも良いとの事で、事故以来、始めての長旅?天候にも恵まれおにぎりとお茶、水、持参のリュックを背負っての歩き、頂上に着いた時の感動で涙が出ました。一緒に行った人達も良く直したね、と言って頂きながら美味い卵焼も食べられました。カーブスを知り、通い始めて四年七ヶ月、卓球にも行って楽しみ、旅行では渓谷を歩き、もう出来ない、と思っていた事柄がクリアしています。又嬉しい事にガニマタが直って来て姿勢が良くなり、身長も二センチ回復、正座も三十分位は出来る様に成り、あぐらもかけ、しばらくはこの体勢でいられる様にも成りました。ねじれも気にならなくなり良い事尽めです。冬場は趣味の手編が好きで始めるのですが腰をピンと立てて座っている為か、肩も凝らなくなり、今季はセーターを三枚も編んでしまいました。其の他にも体温が二度位上がり寒さ知らずになりました。もうすぐ七十一才を向かえ第二の人生が花開く気持です。筋肉の力を心より感じています。書く事が苦手な私ですが痛い辛い思いをせずに筋肉の大切さを感じて頂だけたらと思い綴ってみました。