「お父さんが、動けないんだけど、どうしょう」朝の仕事前に母からの電話で慌てて実家に駆けつける。どう見ても救急車を呼ばないといけない状況なのに、あまり緊迫感のない母。救急隊員への説明もあまり要領を得ない。もともと心臓が悪く過去に2回入院している母だけに任せることができずに一緒に救急車に乗り込んだ。病院に着くと急におろおろと心配しだした。父を入院させた病院からの帰り道、ゆっくり歩いていたが、気がつくと母は立ち止まり、ハアハアと息づかいが荒い。ほとんど歩けなくなっていた。父のこともショックだったが、母にも驚かされた。思えば、しんどいが口癖で、言葉や話に詰まるとおしゃべりな父が口を出してきていた。買い物も父が行ってほとんど家から出ていなかった。実家で話をしているだけでは、気がつかなかったが、確実に母もおかしいと。
 父は、胃ガンの手術後のせん妄で、すっかり変わってしまった。退院後の介護認定で父は要介3、母は要支援2であった。父の看病を必死でして、病院や 買い物にも出るようになり、母も少しは歩けるようになってきた矢先に父が亡くなった。寂しさからか、またあまり家から出ないで食べてばかりの生活に戻ってしまったようだ。もともと4人兄弟6人家族であったので、冷蔵庫が2つあった。いつ実家に行ってもどちらも満タンで、とても母一人の食材とは思えない。今までは常に父と話をしていたのに、1日中、ずっと家に居てほとんど誰とも話をしないでいる。これは、何とかしないといけないと思った。ケアマネージャーさんに父が通っていたリハビリのあるデーサービスなどはどうかと尋ねたが、「お母さんは、お元気なのでそんな所に行かず、自分で好きな所に出かけたら良い」と。しかし、外へ自分からは出ないし、何処へ行けば良いかもわからない。どうしたら良いかと途方にくれていた時に友達がカーブスに通っている話をしてくれた。あまり運動とは縁のなかった彼女が、楽しそうに、自転車でカーブスに通い、前はつらかった衣替えも楽々できて筋力が回復したとのこと。彼女の話を聞いて私も行きたいと思い、早速調べてみると母が買い物に行くショッピングセンターの2階にあった。母を誘ってみるも、「絶対にそんな所へは行かない。嫌だ。心臓が悪いのに運動などしたら死んでしまう」の一点張りだった。何度誘っても返事は変わらないので仕方なく「私が見学に行くからついて来て。お母さんは、入らなくてもいいから」と私が先に入る計画に変更した。
 電話もせず、買い物のついでにどんな所かと二人でカーブスに覗きに行った。見学の日を予約するつもりで...。ドアを開けてびっくり、まず、アメリカンなポップな音楽、明るい装飾の店内、とびきりな笑顔でハツラツとしたインストラクター、普通のスポーツジム以上でした。私のイメージでは、おばあちゃんがゆったりクラシック音楽に合わせて静かに運動していると勝手に想像していただけに衝撃でした。突然だったのにインストラクターは、優しく説明してくれた。母も「私は、結構です」と言うどころか、前のめりで話を聞いていたし、気がつくと申し込み書を自分で記入していた。持病があっても無理しないようメニューも考えてもらい、いつも見ていてもらえるのが安心だったようだ。
 初日、私も運動は久しぶりで、終わると手のひらの中の筋肉が痛かった。こんな所の筋肉も弱っているのかと自分の体にも老化を感じてしまった。帰り道、母は、疲れた様子はほとんどなく、饒舌でしきりに「あんなんだと思わなかった」と言っていた。私は仕事のない日に何とか母を連れて一緒に週2回通うこととした。2回目の日、母は、こっそり歩いて次の日も来ていたようで、私よりシステムがわかっていた。次はこれをしなさい、と先輩口調で教えてくれ、立場が逆転した。ああ、母にスイッチが入ったのだなと実感した。初めは、スタンプを押すのもシールを貼るのも小さくて見えないだの、どこかわからないだの言ってなかなかできなかったのに、回を重ねるうちに早く上手になり、これもいいリハビリになったようだ。時々はみ出たり、スタンプを押し間違えたりするけど、ちゃんと隣の人とお友達になってごめんねと言っているとのこと。優しい人ばかりで良かったです。母は、週3のカーブスがいつのまにか毎日になっていた。家にいても食べてばかりだからと自分から回数を増やしていた。計測や体力測定も先に済ませていて先輩風を吹かせて、私にしなさいと言ってくる。子供の頃のようで懐かしい響き、いくつになっても母親だなあ。二人で出かけた帰りなどは、疲れて今日のカーブスは、無理かなあと思ってのんびりしていると、先に用意をして早く着替えなさいと言われる。私より体力ができたのか?カーブスを休むということは、母の中ではないようだ。
 カーブスでのイベントも楽しみのようでいつも張り切っている。豆を箸で掴むゲームなど私よりはるかにたくさん取って得意気だった。カーブスプリンセスでは、優勝したと戦利品を見せてくれた。ハロウインでは、あんたの分も作ったと、見覚えのある布でエプロンや三角巾を縫って、小道具のはたきまで持参していた。私は、いいよと言っていたのに用意されたので渋々メイドになった。自分は、魔女に。庭の木を杖に、フクロウの財布をブローチに帽子に庭の花をと自分なりに工夫して皆を驚かせていた。次の日は、私の衣装を着てメイドになったそうで...。幼稚園のお遊戯会、中学の英語劇で衣装を作ってもらって以来で、親子で楽しめた。
 首が痛い、めまいがすると言う、妹と3人で出かけた時は、電車で一つ空いた席に妹が座り、母は、立っていた。随分、強くなったなあと感心した。妹に、しきりにカーブスを勧めているのを横で聞いていておかしかった。やがて妹もカーブスの別の支店に通うようになったので、イベントなど共通の話題が増えた。
 もう、一人でどこへでも行けるみたいだ。書道に唱歌と趣味の多く、毎日出かけているようだ。相変わらずよく食べるので、食べ過ぎを注意しているが、階段も時間はかかるが上がれるし、しんどいの口癖も減ってきている。
 カーブスをきっかけに運動だけでなく社会復帰ができ、そこから次に広がり、どんどん元気に若返っている。カーブスでは、私より顔も広く、初対面の人も母に年を聞いて、いつから始めたかと盛り上がって話をしている。
 平均年齢の差などで一人ぐらしの女性が増えている。その人たちの社交の場にもなっていてなんと素晴らしいことでしょう。母に楽しんで通う場所ができ、同時に鍛えることもできるなんて。本当に母とカーブスが出会えて良かった。感謝してもしきれません。これからもよろしくお願いいたします。

 気がつくと母は、要支援2だったとは信じられないくらいに完全に復活していた。