二〇一〇年の夏。結婚前提で長年付き合っていた人と別れ、失意のどん底にいた私は、ちょっとした運動不足解消にとカーブスに興味を持った。見学に行くと、即入会を決意。あれからすぐにお見合いした相手と結婚することになり、都内の別の場所に引っ越してからまた同じ場所に戻った。
最近は、すこぶる調子がいい。夜は布団に入るとすぐに熟睡し、朝は六時ごろ自然と目が覚める。若い頃から、冬場には頻繁に尿意をもよおし、熟睡することもままならなかった。約一年前に比べたら、確実に年を取ったし見た目もそれなりに老けたはずなのに、だ。
約一年前、私は毎日の子育てに追われ、疲れ切っていた。もともと子供好きなわけでもない私にとって、二歳から三歳にかけての子供は、ただ本能のままに生きるだけのかわいさなど微塵も感じられない存在だった。週に一度、母に来てもらい預かってもらうことだけを心の便にする日々だった。母が子供のためにハンバーグなどの昼食を作ってくれ、子供もそれを楽しみにしていた。「今日は、ばあちゃん来るの?」それは嬉しそうに聞いてきたものだ。
それが、ある日を境に子供が母と二人きりにされるのを嫌がるようになった。私がいなくなると泣きながら昼食を食べるらしい。片道一時間かけて来てくれる母への申し訳なさと、やはり私がつきっきりで相手をしないといけないのか、という絶望感で一杯になった。無性に子供に腹が立ち、怒鳴りまくることもあった。そんな折、夫の会社の経営状況も悪化。決して多いとはいえない毎月の生活費が半分になったときは、虚しさで涙が出た。すぐに子供を保育園に預けて私が働くべく動いたが、簡単に保育園に入れるわけもなかった。幸いにも私の両親は元教員で年金生活だったため、それなりにお金を持っていた。「いくら欲しいの?必要なだけ出すよ」そんな言葉を母に言わせてしまう自分が情けなかった。今思えば私の貯金もあったので、なんとかできたと思うのだが、当時は目先のことにとらわれすぎて柔軟に考える心の余裕がなかった。
そんな折、私自身も目に見えて変わった。体重は激減し、白髪が一気に増え、老け込んでしまった。カーブスでの毎月の計測でもインストラクターから心配されるほどだった。「啓子さん、ちゃんと食べている?需要と供給がうまくいっていないみたいよ」ありがたいことに計測を担当した方だけでなく、他のインストラクターの方まで心配して声をかけてくれた。いっそのこと、老け込んだまま病気にでもなって死んでしまってもいい。わけもなく自暴自棄になってしまっていた。今思えば心身ともに病んでいたのかもしれない。
また、お金のことを考えたら、少しでも切り詰めないといけないと、カーブスを辞める決意も固めた。「あの、退会したいのですが」到着早々に切り出した。インストラクターの方は、ちょっととまどった様子だったが、すぐに対応してくれた。引き留めたいところだったと思うが、私の切羽詰った様子を感じ取ったのだろう。あれこれと追及されないのを本当にありがたく思った。
それからしばらくして特に変わったこともないままに、ただ月日が過ぎていった。思いがけず四月から子供をプレ幼稚園に入れることになり、少しだけ気持ちが楽になっていたのかもしれない。あるときふと、こんなに頑張っているのだから、自分にはせめてこのぐらいの贅沢をしたほうがいい、という心の声が聞こえた気がした。もちろん、何度も自問自答して心の声を消そうとしたものの、やっぱりやりたい、続けたい、という熱い思いが消えることはなかった。すぐにカーブスで退会取り消し手続きをした。インストラクターたちの安心したような笑顔が嬉しかった。
あれから一年が過ぎた。子供も一年間プレ幼稚園に通ったこともあり、かなり落ち着いた。公園などに遊びに行くと、知らない子でも自分から積極的に話しかけるほどたくましく成長した。そして、この四月から保育ルームに入れることになり、現在通っている。私はといえば、もっか就活中で以前よりは楽天的でなんとかなるさ、と思えるようになった。それはきっとカーブスに通っていたからなのかもしれない。自分が苦しく辛いとき、いつも側にカーブスがいて見守ってくれた。たまに自分が辛かった時期と似たような状況に昼人には、カーブスをおすすめしたりもしている。これからもできる限り続けていきたい。カーブスに通っていれば心身ともに健康になり、幸せになれるかもしれない。そう思えるのである。
佳作
「カーブスとともに」
カーブスって
どんな運動?