昨年の3月、二回目の地球一周の旅から帰国しました。さあ、又、カーブスに復帰してがんばろう。
私がカーブスと出会ったのは10年前。娘達を産んでから20kg近く太ってしまいもう『やせる』という文字とは縁がないと思っていました。それが風邪をひいて病院に行った時、血圧が180、お医者さんも驚いて、すぐに高血圧の薬を出されました。『運動をしてやせなさい』ときびしく言われてしまいました。丁度その頃天沼に「カーブス」オープンのチラシを見て友人と体験に参加しました。30分という時間と着替えなくて良いというフィットネスで仕事帰りに気軽に寄れるというので入会しました。
お医者さんとカーブス、食事療法で今まで何度挑戦してもダメだった体重を1年で10kg近くどんどん落ちてゆき、心も身体も軽くなりました。家事、仕事、カーブスと順調な毎日でした。そして単身赴任で仙台に行っていた主人が定年して帰宅。私は仕事とカーブス。主人は趣味と犬の散歩。娘達はそれぞれに就職して通勤していました。子育ても終わり主人とゴルフ、旅行と充実した日々が訪ずれました・・・・が、2011年、東日本大震災が起こりました。
犬の散歩も外出もひかえてTVのニュースで自分がいた仙台、東北の心配をしていた主人が震災から一ケ月後救急車で運ばれました。腸閉塞でした。手術も無事終わり食事も摂れるようになっていた矢先、脳梗塞で倒れ、救命救急センターに運ばれた時にはすでに意識がなくなっていました。病院の行き帰りにカーブスの前を通るのですが寄る気持ちになれずただただ主人の意識が戻って欲しいと病院に通う毎日でした。そして震災から四カ月後、救急車で運ばれてから三カ月後、64才で主人は旅立ってゆきました。最後まで意識は戻りませんでした。
お葬式も終わり娘達も勤めに出てしまうと泣いてばかりの自分がいました。30年連れ添って来て、まさかこんなに早くひとりになるとは思ってもいませんでした。これからの自分が不安で何も手につかない毎日でした。
そんな時新聞で『地球一周の船旅』という文字が目に入り、主人と停年したら行こうかと話していたのを思い出しました。説明会に行き一年後の旅を予約しました。娘達も行ってらっしゃいと言ってくれました。さあ、そうなると出航の日まで健康で体力もつけなくてはと思い再びカーブスに通い出しました。
スタッフの方達も長く休んでいた理由を知っていましたが笑顔で迎えて下さいました。2012年夏、三ヶ月の地球一周の旅に主人の写真と共に出航しました。船の中ではカーブスのTシャツを着てラジオ体操やダンスのレッスン、ヨガ等々に行くとカーブスに通っている方が他にもいらして「あら、カーブス」と声をかけてくれました。船を下りてから私の紹介でと岐阜や新潟のカーブスに入会したと連絡があり、日本中に友達も出来ました。その後南周りの地球一周をもう一度したいと思い帰国後もカーブスで再び体力作りにはげみました。そして2014年12月、南半球を周る2回目の地球一周の船に乗り昨年、2015年3月無事横浜港に帰って来ました。
もちろんカーブスにも復帰しました。船旅から帰ってくる私を待って結婚式をあげた娘が今年の6月に出産します。初孫です。カーブス歴もちょうど足かけ10年になります。
30才で結婚し60才で主人と死別。私の人生は30年毎に節目があるのでしょうか。これからの30年・・・・?まずは健康で元気に年を重ねてゆきたいと思います。カーブスとの二人三脚をめざします。今は「お父さん、あなたもおじいちゃんになりますよ!」と仏壇の写真に笑顔で話しかけています。
佳作
「30年目の人生の転機」
カーブスって
どんな運動?