私は平成5年にウィルス性脳炎と言う病気に襲われました。三人の子供達は当時、6才、4才、生後4ヶ月の三姉妹でした。1年10ヶ月の間意識を失い、三年間入院しました。三年後に退院した時は筋肉が無くなってしまっていて、足が物干し竿程の太さしかなく歩く事も出来ませんでした。
このままでは、子供達が可哀想と思い、毎日家の周りを杖をついて歩く練習をしました。足がしっかりしていないので転んで足を骨折した事もありました。その後少しずつ杖なしでも歩く事が出来る様になり外出する機会も増えて来ましたが、中々思う様には歩けなくて、ちょっとした段差や階段が最大の難所でした。
でも何もしなければ、足はこれ以上良くならないし性格も暗くなると思い、次女が高校を卒業した時に働きに出ようと思いました。(当時45才)この足では、仕事は限られて来ますが、求人のチラシ等を見る様になりました。以前から料理が好きだったので、スーパーの惣菜に応募しました。面接で足に後遺症が残っている事などをダメ元だと思い私の気持ちを正直に話しました。一週間程経った頃に採用の連絡があった時はとても嬉しかったです。その時、私は足が悪い分人の二倍も三倍もがんばらないと、他の人に迷惑かけてはいけないと思いました。幸せな事に職場の人は皆さん良い人でしたので、七年間、日々勉強の精神で働きました。ところが50才を過ぎた頃から頻繁に腰痛が起こり、月に1回のペースでギックリ腰になって、シップと腰ベルトが手放せない毎日でした。
その頃、カーブスの会員のSさんに勧めていただいてカーブスの見学に行きました。スポーツクラブと聞いただけで私には無理、と思いながら見学に行ったのですが、コーチが親切にお話をして下さったり、メンバーさんがマシンを使って筋トレをされているのを見せていただいて、『私もやってみたい』『私にも出来るかも』と思いました。そしてその日に体験を予約して帰って来ました。その日から体験の日まで、の間はとてもワクワクしていたのを覚えています。
やっと体験の日がやって来ました。ワクワクの反面、『私に出来るかな?』と不安な気持ちもいっぱいでした。靴をはきかえて、まずはステップボードに!!
そのステップボードの段差ですら自分で上がる事が出来ませんでした。Hコーチが親切に手をつないでくださり、ステップボードの上り降りをしていました。行動が遅いので私の後のマシンは、いつも1つ、空けて下さっていました。もちろんステップボードでの足ふみも出来ませんでした。
でも、カーブスでコーチやメンバーさんと筋トレをしてみたいと強く思い、平成24年の12月に入会しました。それから半年、1年が過ぎて徐々にマシンもステップボードも他のメンバーさんにはまだまだ追いつけませんが、自分の中では『出来た!』と思える日が増えて来ました。その頃からだんだん欲が出て来て、仕事は週に2回休みがあったのですが家の用事や友達との集まりがあったりして1ヶ月に5回位しかカーブスに行けない事がストレスに感じる様になって来ました。そのため、仕事は去年の夏に辞めて、今は週に3回(月・水・金)を目標にカーブスに行く様に決めています。
最近では、ステップボード、の上り・下りも、足ふみも簡単に出来る様になり、Sコーチに移動がスムーズに出来る様になったネ~と言って頂いてとても嬉しかったです。どのマシンも以前に比べると軽く感じる様になりました。この1年間では、腰痛やギックリ腰もなっていません。コレステロールもずっと高めだったのですが、今は正常値になりました。
私の昔からずっと仲の良い友達Mさんも肩の痛みで困っていたので『カーブスの体験に行ってみたら』と言って勧めました。その友達Mさんも手を使うマシンが初めはできなかったのですが、カーブスに通ってるうちにできる様になりました。もっともっと痛みに困っている人に勧めて行きたいです。
あの時、カーブスに誘って下さったメンバーのSさんや天理店、のコーチに感謝、感謝の毎日です。これからも週3回を目標にがんばります。末長くずっとカーブスのメンバーでいたいと思っています。
佳作
「カーブスを通して変わった私の毎日」
カーブスって
どんな運動?