渋谷に住んでいた私達家族は、孫の生まれた平成11年に船橋に引っ越して長男夫婦と同居いたしました。生まれて1カ月半目がはっきり見えぬ内に、母親は孫を私に預け仕事に復帰しました。その日から子育て第2の人生が始まりました。目がはっきりと見えた頃が私の顔、その孫の目には私が親だと思ったのでしょう、どこへ行っても私を追うようになりました。忙しい毎日でした。幼稚園に入った頃には下に弟が生まれ、2人を見る事となりました。下の孫を背負って幼稚園の送り迎えが始まりました。無我夢中の毎日でした。上の孫が小学校に入り、下の孫が幼稚園に入った時は、送り迎えはありましたが少しは手が掛かることが少なくなり、ただ家の中を守り、孫の帰りを待つ事だけで、自分の事を考える事などなかったのです。下の孫がやっと小学校に入学しました時から手が離れ、やっと一息つける時期に入りました。それからです、私の体調が崩れ始めました。
肩・腰・足・手、全部に痛みが始まりました。坐骨神経痛になり病院通いが始まりました。孫を背負ったり、だっこをしたり、怪我や病気をさせないよう、気を使う緊張の毎日が今頃になって私の体に重たくのしかかって、痛みとなってきたのでしょう。益々痛みがひどくなり、動くのが辛くなりました。朝起きる時も、手を貸してもらわなくては起きられなくなりました。病院へ行き、薬と電気治療を勧められ、薬は2週間に1回、電気治療は週2・3回。その生活が半年くらい続きました。痛くても家の中の事や買い物は毎日行っておりました。
買い物の後、ある日途中にあるカーブスの教室と外に貼られている広告を見て行ってみようとドアを開けたのです。中に入り又びっくりしました。私と同年代位の方々が、頑張って一生懸命マシンを動かし、汗をかき、運動していたのです。その時の皆様は輝いて見えました。教室のリーダーさんにやさしく案内され、いろいろな説明をしていただきました。この日から私の気持ちが決まりました。頑張って自分の為にやろうと思い、カーブス人生が始まりました。行くのがとても楽しみでした。
2ヶ月が過ぎた時の事でした。あれ、体の痛みはどこへ行ったのだろう。知らぬ内に体が楽になったのです。この時期から病院生活・薬・電気治療器ともお別れです。カーブスのお陰です。何とも言えない気分でした。小学校生活の孫達とも一緒に公園に行き走ったり、ボール投げ、バドミントンなど、負けずにやることも出来るようになりました。上の孫が中学校に入り、益々バドミントンなどは動きが激しくなり上達しております。私も同等にやる事ができました。私の方が少し強かった為、孫はそれを見て、その時から私の事を"ウルトラばあさん"と言うのです。その孫も高校2年生、今は部活でバドミントンをやっており活躍しております。
カーブスも5年目に入った頃には体全体が強くなったと思いました。筋肉が付いたのでしょう。私はある事に挑戦したくなりました。それは、小学校時代得意だった三点倒立です。50年以上やっていない倒立をやってみようと思い、挑戦しました。何と自分でもびっくり、出来たのです。自分ながら感動しました。家に帰り家族に見せましたら、びっくりして拍手を贈ってくれました。孫にももちろん見せ、孫は「私もできる」と意気込んでおりましたが出来る事はなかったのです。やっぱり"ウルトラばあさん"だとびっくりしておりました。"ウルトラばあさん"の言葉は未だに消えないのです。
私は本当にカーブスに感謝しきれません。又、そこにはコーチの明るい人柄と、一生懸命に私達の為に本気になって体の事を心配し、思い、指導していただき元気になったのです。私の体も6年前とは思えないほど変わっております。うれしいです。もう1つは、カーブスの仲間達。私は大好きです。毎日教室で会うのが楽しみで、ドアを開けると自然に微笑みが浮かびます。学生時代に戻ったみたいです。
もう1つうれしいことがありました。今年の母の日には、孫が「私のお母さんだから」とプレゼントを渡してくれました。最高にうれしかったです。私は胸があつくなり、部屋の影に行き目頭を押さえました。一生忘れる事はないでしょう。これからも孫の成長と共にカーブスへ通って行きます。コーチの皆様、教室に通っている皆様共々よろしくお願い致します。
佳作
「孫と共のカーブス」
カーブスって
どんな運動?