私のカーブスの出逢の三年間
私のカーブスの出逢いは、アピタの中にカーブスが出来た頃に、1回話を聞に行きましたが、少し高いなと思って、入会も考えることなく、家に帰ってしまいました。
それから、1年、2年と過ぎた頃、平成25年の6月中頃だったと思いますが、もう1回話を聞に、カーブスに行きました。そこで皆さんが楽しそうに運動をするのを見ていると、私も楽しくなって来ました。私は思い来って入会をしまた。
最初は、主人と二人でアピタへ行き、私はカーブス、主人はショッピングセンターで、私の終るのを待ってくれました。こんな楽しい日が、何年も続くと思っていました。
平成26年2月ごろに、コーチから電話がありました。何日も休んでいるので、どうしてかと思っているのよと。1月の初めに、主人が入院をしたといっていたので、もしかして、ご主人何にかあったのと言われました。主人が亡くなって寂しくて、寂しくて、外へ行く気持がなくて、カーブスに行くことが出来ませんでした。
コーチが一言、おちついてから、カーブスに、こられと言われました。私には子供がいないで、1人になり、私達はどこへでもいつでも2人で出かけていました。そん気持にコーチは、私の気持なって、一言おちついてからカーブスに、こられといわれて、3月にはいってから、カーブスに行きました。コーチは大丈夫と声をかけられ、ここの中にも、ご主人のいな人が沢山いるのよ言われたが、その人達には、子供や孫がいる人が、ほとんどだと思う。私には子供も孫もいない。ほんとうに1人なったのでこんな気持は、だれもわかることはないと思った。
その月の終りだったころに、少し横になっていたら、急に腰が痛くて痛くて、少しでもうごくと、電気が走りました。私は頭の中で思ったことは、私はこのまま亡くなるのだと思った。2日休んでから、カーブスに行きました。今日もコーチの明るくて、楽しい声が、聞えて来ました。体験をしていると、今日は、痛い所がありませんかと言われたので、2日前から腰が痛くて痛くて動くことが出来なかったと言いました。ほんとうに、だれでもいいので、手をかしてほしいと思ったけど、家の中には、私1人だけだった。この時に、だれでも家にいたらいいと思った。
カーブスのコーチは、1人1人に、こうして全員に声をかけているので私達は元気に、こうしてカーブスにいけるのだと思った。今年28年の元旦に、元旦マラソンに出て、今年1年は元気に、すごすことが出来ると思っていました。そのやさきに具合が悪くなって、カーブスに行って、少し休みますといって帰りました。
病院へ行ったらインフルエンザと言われました。家に帰っても、だれも心配をしてくれる人はなく1人で、ただ寝るしかなかった。家に誰かいたら心配をしてくれて、おかゆなどを作ってくれると思うが、私にはだれもいない。だれも作ってくれる人がいないので、ただ寝るだけだった。毎日毎日2週間ほど寝るだけだった。
何日たってからコーチから、電話があり、休んでいるのでどうしているかと思って電話をしたと言われ、インフルエンザになって、カーブスにいけないと言った。コーチはなおってからでいいので、カーブスにこられと言われて、3月にはいってから、カーブスに行ったら、もう大丈夫と言われ少しは楽になりました。
ある時にアピタの中で、ある男の人が、あなたのご主人が見えないので、どうしてかと思って声をかけたと言われました。私は主人は亡くなったと言ったら、ご主人はいつもここでコーヒーを飲んでおられたと言われ、私は胸が熱くなりました。今は毎日毎日カーブスに行くように心がけています。いつも明るくて楽しいコーチの顔を見るのが、楽しみにカーブスに出かけています。