「こんにちは!千草さん!お待ちしていました!」
いつも元気に私を迎えてくれるコーチたち。
その声に支えられ、カーブス始めてもうすぐ1年。
震災後に太った私は、ひざに痛みを感じるようになった。お医者さんに行って、レントゲン撮っても悪いところはないと言われ、処方された湿布を貼っても改善される気配はまったくなかった。運動不足かなと思い、少しずつ家の周りを歩くようにした。
震災前は、毎日45分歩いていた。しかし、当時頻繁に発生していた大きな余震が怖くて、私は歩かなくなっていた。
久しぶりのウォーキング。しばらくぶりで歩いてみると、周りの景色は、震災前のそれとはずいぶんと変わっていた。あったはずの家がなくなり、ナスが植わっていた畑は民間の賃貸アパートになっていた。感慨深い思いにふけりながら歩いた。時の流れを感じる。
私の体も日に日に年をとっているんだ、と思う。そう思ったとき、ひざの痛みとは一生付き合っていかなければならないという、あきらめと覚悟が、はじめて私の心に芽生えた。
そう、年だから仕方がないんだ。
ウォーキングを続けて、少しずつ歩ける距離が伸びた。ウォーキングを始めて6か月が過ぎた頃、50分で5キロを歩けるようになっていた。それでもひざの痛みは変わらない。
継続は力なり、と自分に言い聞かせ歩き続けた。
そんなある日、知人からカーブスのことを聞いた。いくつかのトレーニングマシーンで運動する、30分で終わる、という。特に、私は、30分で終わるというところに魅かれた。仕事帰りに行けると思った。何事も体験!だめだったらやめればいいと思い、知人に紹介してもらった。この年になっても初めてのことは緊張する。約束の日、緊張した気持ちを持ったままカーブスのドアを開けた。
それから10か月。カーブスは私の生活の一部、いや人生の一部になりつつある。カーブスで気持ち良い汗をたっぷりかいて、汗と一緒に日々のストレスも流れていく。いつの間にかあんなに痛かったひざの痛みも改善されていた。小走りさえもできるようになっていた。1年前には信じられないことだ。カーブスを始める前は、走ることはもちろん、小走りなんてもう無理かもしれないとあきらめていたから。それが、いつの間にか小走りができるようになっていた。いつか走れるようになるかもしれない。いつか走れるようになること・・・今の私の秘かな願い。2年後、3年後、いや5年後かな、いつか走れる日がくることを待っている。そのとき、私は今よりもスマートになっているのだろうか。
何があっても年だからとあきらめかけていた私の心に、久しぶりに小さな希望の灯が燈った。
その日を待って今日もカーブスのドアを開ける。
「こんにちは!千草さん!お待ちしていました」
佳作
「カーブスと私」
カーブスって
どんな運動?