私がカーブスと初めて出合ったのは、昨年の十月三十日でした。とても体調が悪く、紹介者の友人の立場上、とにかく行くだけ行って、お断りしてすぐに帰れば良いと思って行きました。当然、私は顔と態度に出ていたと思います。「鈴子さんに合えるのを楽しみに お待ちしていました。」明るい声と笑顔で迎えられ、コーチから いろいろな説明を聞いている内に、閉ざされたはずの私の心の扉が、少しずつ開いてゆくのを感じました。内科での血液検査で指摘され、ドクターからは「とにかく痩せなさい。痩せないと大変ですよ」と言われていました。薬も何種類も服薬していました。コーチは 筋トレの大切さは勿論の事、いろいろな説明を丁寧にして下さり、体験も終えました。初めて会ったのに、人の気持ちのわかるコーチだと感じ、とにかくカーブスに通ってみようと決心しました。早速メンバー登録して帰りました。実は私、夏頃より変形性膝関節症と脊柱間狭窄症と診断され 痛みとの戦いの連日だったのです。
どうしても仕事を辞めたくない想いが強く、勤務の傍ら整形外科・接骨院・又保険外の治療にと、通い続ける毎日でした。その上自宅ではお灸に手動のマッサージ器も手放せず、必ず毎日実施していました。痛みと歩行時の激痛に悩まされる日々。心から笑えない日々。 ある日ドクターに「どうしたら、痛みが軽減するんですか」と聞いた所「痩せるか、筋肉をつける事ですよ」とおっしゃったのです。
筋トレの大切さは、充分理解していたつもりです。でも私には、どこにどうして筋肉をつけたら良いのかが、正直全然分かりませんでした。
心待ちにしていた十一月八日。ワークアウト開始の日です。なのに、半周廻った所で汗はダラダラ、気分が悪くギブアップです。正直なところ、情けなく悔しかったです。その後もしばらくは、ワークアウト一周とストレッチが精一杯の状態でした。でも不思議と カーブスに通った日は、身体が軽くなった様に感じておりました。それに楽しかったのです。その頃の私は、自分なりに他のメンバーさんの半分しか出来ないのなら、他のメンバーさんの倍、カーブスに通えば良い。そう自分に言い聞かせておりました。
そして約一ヶ月通った頃です。歩く時に、そんなに痛みがないのです。自宅では、痛みに我慢出来ずよく、杖をついて歩いていました。いつの間にか、杖無しで歩けていたのです。驚きでした。そうこうしている内に、ワークアウトも皆さんと同じ、二周廻れる様に成っておりました。そして私にとって大きな変化がありました。入浴の際、湯船の中では椅子が無いと座れなかったのが、何と椅子無しで浴槽に座る事が出来たのです。驚くと同時に嬉しかったです。
それからしばらくカーブスに通った頃です。余り話したくなかったのですが、私は二十歳の時に事故にあって以来、仰向けに寝られなかったのです。ところが、仰向けに寝られたのです。当然ですが、天井を見る事が出来たのです。三十歳迄は、十二回の入退院の繰り返しでした。
もう私は、一生仰向けには寝られ無いだろうと諦めておりました。もう嬉しくて自然と涙が出て、なかなか止まりませんでした。次の日嬉しくてコーチに報告したのを、今でもはっきり覚えております。
そうこうしている内に一月二十八日。カーブスに通い始めて初の内科受診日。当然ですが血液検査がありました。前回、9つ指摘されていた血液検査が、何と4つに減っていたのです。嬉しくて、検査結果の用紙を持っておもわずカーブスへと車を走らせておりました。早速コーチに報告すると、コーチは目頭に涙を浮かべ喜んで下さったのです。
「コーチのお蔭です」と深々と頭を下げる私に「鈴子さんが頑張ったからですよ」「鈴子さんが努力したからですよ」とコーチの謙虚な言葉でした。私がカーブスに出合って変わった事は、本当に沢山あり教えきれません。もし今もカーブスに出合ってなかったら 私の毎日はどうだったのかと考えただけで、背筋がぞーっとします。カーブスを紹介して頂いた友人に心から感謝すると同時に、私は今、感謝されています。
同じ病気の脊柱間狭窄症の知人を始め、友人・職場の同僚・上司にと紹介させて頂き、皆さんから喜ばれた上に、感謝されております。幸せな事です。
カーブスの輪が広がり、筋トレという花が咲いている様です。私の毎日は、決してオーバーではなくバラ色です。痛みが殆ど無く歩ける。歩く事が出来るのです。一歩一歩しっかりと歩けるのです。楽しく通うカーブスがあります。
心から笑える毎日です。これからも、自分のペースで大好きなカーブスに通い続け、一人でも多くの方に、カーブスのすばらしさと筋トレの必要性をお伝え出来ればと、願っております。
佳作
「カーブスを通して変わった私の毎日」
カーブスって
どんな運動?