私とカーブスとの出会いは、昨年の母の日、メンバーである娘からのプレゼントでした。"エッ!?カーブス...?"私の第一印象でした。
私の済む地域以外での存在自体が稀有となり、その存在さえも知らない人たちが多くなった"愛育班"の役員をしていました。町主催のガン検診のお手伝い、各支部毎の健康教室・運動教室・栄養教室等の勉強会が主な仕事です。住民の健康意識の向上を願っての事業なのですが、思う以上の参加者は望めないのが実情です。
勿論私自身も運動が大事であり、必要なことも良く知ってはいたのですが、その方法が解らずにいたのです。
48才で右視床下部の脳出血による左半身麻痺の後遺症により、軽度ですが左半身の痺れが残ったのです。
それから16年、痺れにも慣れてきましたが、平常時・就寝中・運転中・買い物途中...突然左腰から足に掛けて痺れが酷くなる時があります。何と形容していいか解らない不快感・脱力感・歩けない不自由さに見舞われるのです。痺れに対するお薬は副作用ばかりで、投薬は諦めました。また、階段から落ちるという不安からも逃れられませんでした。前ぶれがないので、防ぎようがありません。
そんな私にとってカーブスとの出会いは必然だったのでしょうか...。
娘は私に少しでも元気になって...との願いでのプレゼントだったのだと思います。そんな娘の気持ちは本当に有難いと思いながら、体調が優れず、10月までチケットは押し入れの中に大事に仕舞ってありました。秋風が立ち涼しくなった頃合いをみて、今始めなければもうチャンスはないと思い立ち、娘に連れられカーブスを訪れました。
初めて見たカーブス...同年代の人は勿論、私より年配の方々が生き生きと筋トレをしていたのでした。
子供の頃より運痴な私は少し戸惑ってしまったのです。果たして私にできるのだろうかと...。陸上ならともかく器械運動ですから...。でも、娘の行為の分だけは無にしないよう頑張ってみようとは思っていたのです。
さて...なんと私にも出来たのです。コーチから痛めた肩にあまり負担が掛からないように、優しくアドバイスを頂き、恐る恐る始めてみたのです。とにかく週3回通ってみる事にしました。
そして1ヶ月が来ようとしている時、腰から足に掛けての強い痺れが起きていないことに気付きました。でも直ぐに物事を安易に信じ込まない私は、たまたま痺れのバイオリズムが大きな幅になったのかもしれないと思ったのです。それでもとても嬉しいことでした。
主治医の脳神経外科とハートクリニックの両先生からも「運動は良いですよ、頑張りなさい。」と励ましのお言葉を頂き、1年だけでもと入会しました。
始めてから2ヶ月くらいの頃、痺れが来たのです。16年も付き合ってきたあの痺れです。でも今回は眠る妨げや歩行困難までにはなりませんでした。それから3ヶ月、今だ左半身の痺れは無くなりませんが、生活に支障を期していません。この痺れも私の一部だと受け入れています。
「階段を上がる足音が軽快になってきた」と主人が言います。気が付けば、階段を駆け上がっている時があります。下りるのも今では手すりに掴まっていませんし、怖くありません。少しずつですが私の生活に変化が起こってきているのです。
TVで大嫌いな蛇の映像を見て発作、事故の映像で発作、手術の映像で発作、大掃除を3時間で発作...ストレスや身体への負荷ですぐ狭心痛が起こるので、ニトロを手放せないのですが、果たしてカーブスでは...。娘の心配は肩と狭心痛でした。
カーブスでの30分、本当によく考えられていると思います。一つ一つの筋トレが30秒...正直な話、私には30秒しか持たないマシンがあります。筋トレする以上は一杯にという気性から手抜きが出来ないからです。もし40秒ならとっくに私はリタイアしているでしょう。また次々にマシンが変わると言うのもストレスの軽減になります。筋トレでニトロを使用していない私の独断の結論ですが、画期的なシステムだと思います。
コーチの細かな心遣い・言葉掛け・マシンの指導等が励みになっています。「さわみさん、おはようございます(こんにちは)」明るく元気な掛け声に迎えられると、"今日も頑張るゾ!"とやる気満々になります。
「ばあば、オレが大学を出て就職するまで生きろ!育ててもらった恩返しをしたいから、お給料からお小遣いをかげるよ」と、孫からの嬉しい言葉を貰ったのは1年前です。その孫もこの春に中学に進学します。後10年...私は元気でいられるでしょうか?まだ周りから必要とされるなら、多くは望めないものの1日でも長生きをしたいと思います。
"死ぬまで元気に生きる"...私の目標です。その為にも、カーブスで頑張れるうちは、精一杯頑張りたいと思っています。
コーチの皆様、よろしくお願い致します。