カーブスエッセイ大賞を2014年に受賞して、早いもので2年、娘愛美が亡くなってから4年になります。エッセイ大賞を受賞した後、私にも大きな変化がありましたので、ご報告かたがた、またペンを取りました。
カーブスエッセイを書きあげて数ヵ月後、私は父から毎月、月命日に休みを取って墓参りに行くことや、今の自宅(借家)にいつまで住んでいるのか?前向きではないのではないか?と言われたことに腹を立て、父と言い争いになり、それから疎遠な状態が続きました。
高齢者の相談業務に携わっていながら、私は父を怒鳴り、その当時、仕事上でも思い通りに運ばないことに憤る自分がおかしいのではないか?と思うようになりました。
そんな時、ふとカーブスマガジンに連載している日本メンタルヘルス協会の衛藤先生と体験ゼミナール参加募集欄が目に入りました。衛藤先生の連載には、これまでも感銘を受けていたこともあり、私は、体験ゼミナールを早速申し込みました。
体験ゼミナールの日、東京の銀座という場所も学生時代以来で久しぶり、まるでお上りさん、またメンタルヘルス協会の方々の笑顔が妙に明るく感じ、その時の私とは違和感があり、場違いなところに来てしまったかな?と正直思いました。しかし、講座が始まると衛藤先生のお話に引き込まれ、受講後は、心理学を引き続き学びたいと思い基礎コースを申し込みました。
学びを深めていく中で、私が父に抱いていたのは、私が言わなくても父はわかってくれているという一体感で、それを期待していたのに、落胆したことで私は父に対して怒りを感じたことが分かりました。父は、娘の闘病の時も経済的にも精神的にも支えてくれたので私は、父は当然、私の気持ちをわかってくれているものと思い込んでいたのでした。
第一感情は期待、第二感情が怒り。そして配偶者、パートナー、親子、家族、友達、上司、部下など親しい人にこそ一体感を抱きやすいが、親しい人にこそ、離別感が必要であると学び、本当に腑に落ちました。
それからも、メンタルヘルス協会での学びを続け、基礎コースから、研究コース(現プロコース)に進み、今年の2月には卒業を迎え、私は公認心理カウンセラーになりました。最初は仕事を続けながら、茨木から東京まで通う事はできるのか?という不安が大きく、福祉の資格もあり、これ以上資格はいらないと思っていた私ですが、心理学を学ぶうちに、カウンセラーの資格と取りたいと思うと同時に、残された私の人生の使命に気付きました。それまでは、元気でいなくちゃと思う反面、いつ死んでも愛美に会えるからいいかな?と変な潔さ?がありましたが、「まだ、私は死ねない。私にはまだ、この世でやることがある。カウンセラーになって、人の役に立ちたい、私にしかできない事がまだあるのではないか?だからまだ、今は逝けない。天国で、愛美ちゃん、もうちょっと待っていてね。」と思うようになりました。自身の想いとカーブスで培った体が私の味方であり、体調を崩すこともなく私を支えてくれました。
私は、メンタルを学びながら昨年から、母体の介護施設で心理学を伝える機会を頂いています。介護や看護に携わる人たちに限ることではありませんが、メンタルヘルスは企業の間でも義務付けられてきたことでもわかるように、今や重要になっています。なのに、身体と心が繋がっていることを、知らない人が多すぎる事に私は驚きます。
更にカーブスを続けながらメンタルを学んだことで、カーブスが心理学を取り入れていることに気付くようになりました。
カーブスのキャッチフレーズである「体が変われば心が変わる。心が変われば毎日が変わる。毎日が変われば人生が変わる」
カーブスに通い始めた頃は、あまり気にしなかったこの言葉ですが、自分自身を通して今では本当にそうだと実感します。身体と心は密接に繋がっている、人は行動が変わると考え方が変わってくる。自分を変えたいならまず行動から変えてみるのが行動療法です。
自分の人生は、自分が主役、だからこそ、自分軸で生きること。前に踏み出すことで人生は変わっていく。
それから、カーブスで下の名前で「○○さん」と呼んで迎えてくれることも、人の承認欲求を満たすことなのだなあ・・とつくづく思います。「おばあちゃん」でも「おばちゃん」でも「おかあさん」でもなく、下の名前を呼ばれる嬉しさ、懐かしさ。私も「久美子さん、お待ちしてました」とコーチに迎えてもらうことで、人として認めてもらったような新鮮な感動を覚えます。
カーブスは、筋トレの場所だけではなく、情報交換や安否確認も行い、人間の三大欲求の一つである集団欲を満たす居場所になっているのだと思います。私は仕事で介護予防に係ることもあり、勧める人が元気でなくては伝わらないと感じ「今日も元気に介護予防」と毎日のようにカーブスに向かいます。人と触れ合うことで自分と他人が違うことも意識ができて、その日のストレスをその日のうちに溜めずに発散するリセットの場になっています。
この世の中に、偶然に起こることは何もなく、すべては必然に起こっている。そう考えると、私がカーブスに巡りあったこと、娘愛美の死、そして、その後カーブスに連載していた衛藤先生の日本メンタルヘルス協会に心理学を学び通うことになったこと、すべてが必然であったこと。
娘愛美の死は、不幸なことだったけれど、愛美の死があったからこそ、メンタルを学ぶことができました。そして私の役目、私に残された使命はメンタルで学んだことを伝えることで少しでも多くの人の心が楽になること。
愛美は、私に残された使命を教えるという彼女の使命があって生まれてきた。衛藤先生は、人生は長さじゃない、彼女は、彼女の使命を果たし、ギフトを残して逝ったのだ、と仰いました。愛美は27年の人生を必死に生き、私は、愛美が生きたかった時間を生きている。
だから、限られた時間を、今ここを。
エッセイ大賞を頂いた年に結婚した息子に、昨年の夏、女の子が生まれました。それも、愛美が旅立った時間と同じ時間に生まれてきました。
結婚式の時に愛美にあてたテーブル席の名札の裏に嫁は
「会えてよかった。...私たちを気にかけてくれていたのを嬉しく思っています。生まれ変わりを楽しみに待っています」と書いてくれました。すると本当に生まれ変わりが・・シンクロニシティ。トランスパーソナル心理学で学びました。
私は、今幸せです。今幸せだと感じることができるから、過去の不幸も愛せるようになりました。
「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」これは、エリック・パーンという精神科医の言葉で、衛藤先生が教えてくださいました。
過去に囚われることなく、たとえ一ミリでも前に踏み出すことができれば、今ここを生きることで、自分と未来は変えられます。そして「明日の自分にきっと驚く」ことが出来ます。
いくつになっても、それは変わらないのでしょう。私も自分の経験を通して、より柔軟に考える事が出来るようになり、心が軽く楽になった、変わった自分に驚き、50過ぎても「まんざらでもないな」と感じています。やっぱり、そこにはカーブスがあったから。私はこれからもカーブスを続けます。
つないでくださった皆様のご縁に心から感謝致します。ありがとうございます。
佳作
「カーブスエッセイ大賞(2014)その後...」
カーブスって
どんな運動?