私は還暦を迎える年の始めに、死亡率八割と言われる危険な脳幹出血を発症しました。救急車で搬送された当初は、お医者様から子供達に、助かっても生涯寝たきりも覚悟しておくようにと宣告されたそうです。
ICUで 目覚めた時には、ベッドに横たわっているのは分かるのですが、体が思うように動かず、視界は朦朧としていて、何が起きたのか理解できない不可思議な空間をさ迷っていました。しかし、そこまでとは思いもしない私は、もうろうとした頭でこれは何かの間違いだ、まさかこのまま終わるわけないよね、絶対に元に戻って見せるぞと誓っていたのです。
起き上がることができ、立つ練習をして、車椅子に移れるようになると、緊急病院からリハビリ病院に転院させられました。日々、信じ難い身体の異変に脅かされながらも、障害者になってしまったとは落ち込まずに、回復することばかりを考えるようにしていました。病室では自主トレを工夫し、リハビリ室では先生に褒められるのを励みにして頑張りました。車椅子で一人移動が出来るようになればしめたものです。暇さえあれば病室を抜け出しては、院内廊下の手摺りにしがみ付いて、歩く練習をしていました。努力の甲斐あってか、意外と早く待望の退院を打診された時には、大声で叫びたくなるほどの感激でした。その日を迎え、身体に取り付いた不幸が吹っ飛んで行くような嬉しさで我が家に入ったのですが、いつものように鏡の前に立った時のショックは、一生忘れられないものでした。顔がぼやっとして活気がないのは仕方ないとしても、左右の手足を見比べると、あきらかに麻痺の残った左側手足が細いのが分かりました。掴むとふにゃふにゃして全然張りがないのです。生まれて始めての驚怖でした。力が入らない、歩けないのは、筋肉がここまで落ちたからだったのです。たった三、四ヶ月でこんな体になってしまい、筋肉はすぐに衰えるという恐さを、はっきりと思い知らされたのです。せっかく家に帰れたのに、嬉しさなど吹っ飛んで、無惨にもこのまま朽ちていくのだろうか、という危機感に引き落とされてしまいました。
それから、これではいけない、このまま終わらないためにはどうすべきか焦る日々が続きました。介護保険を利用するデイサービスに週二回通所する位では、筋力の回復には希望が持てません。思い切って、スポーツクラブに入会して頑張ってみましたが、当然ながら体が付いていけません。そんな時に、新聞のチラシで始めて、カーブスという女性だけの筋トレ教室があることを知ったのです。二○○八年のことです。もしかしたら出来るかもしれないと、すぐに見学体験を申し込みました。恐る恐るドアを開けると、スタッフの方達が明るく優しく迎えて下さり、この教室の特徴や、なぜ筋肉を鍛えることが大事なのかを、丁寧にわかりやすく説明して下さいました。体験では、慌てずにゆっくりで大丈夫ですよと、親切に導いて下さったのですが、その時点での私の体ではやはり付いていけず、無念にも諦めざるを得ませんでした。
しかし、その時のコーチの方達の心のこもった応対に感動させられた事と、油圧式のマシンが私には合っていそうに感じられた事もあり、いつかきっと通えるようになろうと内心誓っていたのです。
当時は仕方なく、家で自主トレメニューを考えて自己流に頑張るしかありませんでした。麻痺が残った方の手足は、庇わずに以前の動作を意識して動かせ、歩行では危ういバランスに気を付けながら、出来るだけ多く歩くなど、日常生活イコールリハビリと考えて積極的に動くようにしていました。
そうこうするうちに五年が過ぎ、一人外出も何とか心配なく出来るようになった頃に、再びカーブスの広告を目にしたのです。もう送迎がなくても、自力でバス通所できる自信もあり、期待を込めて見学体験に再挑戦することにしたのです。二度目に訪れてみると、以前より自分の身体が安定しているのが感じられました。いくつかのマシンを試して見て、何とかやれそうに思えましたし、コーチの方が、無理なく回れるようにサポートしますから大丈夫と言って下さったので、即座に入会を決めました。帰りの足取りは、いつになく快調でした。
退院してから、後遺症と向き合うだけの不調の日々を重ねるうちに、何のために生きて行くのかとか、そのうち来るだろう死に対しての不安などに取り憑かれて、考える事に疲れていました。そんな中でのこの日の、普通の人が通う運動教室に通えるのだという喜びは、私に大きな活力を与えてくれました。社会復帰への道が開けたような気がして嬉しくなり、これからはカーブスを中心にして生活を立て直そうと、ワクワクしながら帰ってきたのです。
筋トレは一日おきが良いということなので月、水、金曜日に通うと決めて、曜日を意識してすべき事を組み入れていくように日程を作りました。目的を持った減り張りのある生活が始まると、心身共に調子が安定してきて、発病前の普通の生活をしている気分に戻れたのです。目的を持つ事がどんなに必要であるか改めて思い知らされた気がしました。早速希望に燃えて通い始めたのですが、持病に軽い難聴があったのをうっかり忘れていました。コーチの心配りの声がけも、わたしに? いえ違った? などと、区別できない時があったり、メンバーの方が話しかけて下さってもお返しできず、不快に思われるのではと悩んだりした時もありました。しかし何よりも、自分の身体を作ることが第一と考えたのです。「継続は力なり」を信じ、まずは出掛ける事を心掛けて、今年ではや丸三年になろうとしています。
お陰様でこの頃では、筋トレ成果が、身体にはっきりと実感出来るようになってきました。まだまだグラグラとバランスの崩れがあり、日常生活で支障の多い身体ですが、倒れそうになっても踏ん張れるようになりました。家事では、根を詰めると直ぐに体調が悪化して薬に頼っていたのですが、ある程度の事はやり終えられるようになりました。使えなかった左手も、五十パーセント位の働きは出来ています。スーパーの特価品廻りも頑張っています。「筋肉からの刺激は、必ず脳に届き、その刺激が脳を甦らせる」という記事を、何かで読んだ事があります。私がここまでに成れたのは、この事が実証されているような気がするのです。そしてこの自信が力となり、更にやる気へと繋がっていくのだと思います。
いつのことだったか、マシンを動かしながら、これはどこの筋肉を鍛えるんだっけと考えている時に、ふっと「備えあれば患えなし」という諺が頭に浮かんできた事がありました。電子辞書には「憂い」ではなく「患え」の字で出ていたのを思い出したのです。そうであれば、まさしくこの事を言っているのだと思ったのです。筋肉と病気が深い因果関係にある事を直感した思いでした。そして私の中で、自然と「筋肉あれば患えなし」
のフレーズに入れ替わっていたのです。
私にはピッタリの言葉だと嬉しくなりました。それからは、動くのが面倒になった時や、カーブスをサボりたくなった時などにはこの言葉を思い起こし、まずは出掛けて来て、「筋肉あれば患えなし、継続は力なり」
と呪文のように心の中で呟きながら、意識を持って筋トレに励むように心掛けているのです。