カーブス沼津北がオープンしたのは、平成18年3月。私は、その頃、主人と共に電気屋兼クリーニングの取次ぎの仕事をやっており、少しは運動をしなければいけないと感じていた矢先に、スタッフの方から勧誘を受けました。
平成18年2月27日。まだプレオープンの状態でしたが、早速計測、そして、マシンを動かし、私のカーブス生活が始まりました。入会を決意したのは、忙しい仕事の合い間でも行える30分間という運動時間。無理なくできる油圧マシン。女性専用のフィットネスクラブという点です。
3ケ月を過ぎた頃から、計測される全ての数値が減少し、カラダ年齢も、10ケ月目には、10歳若返り、バスト・ウエスト・お腹まわり・ヒップ・ももまわり・腕まわり合わせて41cmのお肉が消費され、体重も約7kg減りました。それほど太っているという感じではなかったのですが、たるんだ贅肉を取り除くことができ、大満足です。
カーブスは、我が家から車で10分ほどのところにあります。
暑い日、寒い日、忙しいときなど、なかなか一歩を踏み出せない日もありますが、会費を無駄にしてはいけないという思いで、頑張って4年10ケ月続けておりました。
しかし、その頃、主人がガンで闘病することとなり、仕事と看病で手一杯のため、一旦カーブスを退会することにしました。その後、主人は他界しましたので、電気屋は閉店し、クリーニングの取次ぎの仕事をしながら、1年2ケ月ほど経過。その頃は、無我夢中で生活していたので、自分の体型などを気にする余裕も無く、運動もしないでおりましたが、筋肉の衰えのため、五十肩になってしまい、左手が上がらない状態になりました。このことは、以前カーブスエッセイにも書かせていただきましたが、これをきっかけに再入会させていただき、今では、マシンを思い切って持ち上げることができ、うれしい限りです。主人は居なくなりましたが、クリーニングにお見えになるお客様との会話や、カーブスのスタッフの励ましなどが力となり、平穏無事に過ごしていたのですが、去年、もう少し違う仕事を体験してみようと決意し、転職を試みました。しかし、自分の思うようにいかず、気持ちがあせり、もがく日々のなかで、引きこもっていてはいけないと、カーブスには頑張って通っておりました。
カーブスのお仲間は、私のそういう状態を知らないので普通に挨拶をしてくれます。又、知り合いの方とお会いしたときには、現状を話し、アドバイスを受けることもありました。この頃の自分は、相当落ち込んでいて、先の分からない不安感が押し寄せ、自信をなくしふさぎこみがちで、自分でも、どうしようもできない状態で、月日が流れていきました。
お蔭さまで、現在は、自分に適した仕事が見つかり、気持ちも前向きになってきました。
仕事が早番、遅番と交代制のため、遅番の日の午前中、カーブスに通っていますがスタッフも、「これから仕事?」「今日は、お休み?」などと、気遣って声をかけてくれます。
通いなれたトレーニングルームで行う筋肉運動は、マシンに意識を集中して行うので、いろいろなことを考える余地も無く、精神的にも安定した状態でられることが、何よりもうれしいです。
自分流になってしまう動作も、スタッフのアドバイスをいただき、安心して行うことができます。
最近、膝にヒアルロン酸注射を打つようになりました。立ち仕事による影響のようですがこれも、運動と併用して、筋肉を鍛えておかないといけないそうです。腰痛も多少あるので、接骨院に通っていますが、こちらも、マッサージだけでは、対応できないので、カーブスは欠かせません。
何事も、加齢で片付けられてしまいますが、「カーブスとめぐり合えて、本当に良かったな。」と実感しております。
今回は、うつ状態でいた自分を、引きこもらずに心身共々鍛えてくれた「カーブス」に感謝の思いをこめて、書いています。
安心していられる場所、空気のように、無くてはいられない、ありがたい存在となっているカーブスが、「第二の我が家」です。
入会時にいただいた「カーブスメンバーズガイド」という冊子の中に、測定表というページがあり、そこに測定チェックシートを貼り付け、私の9年間の変化を記録してあります。スタッフの写真入りのハガキなども貼ってあるので、私にとっては、宝の本です。
今、沼津北の名簿の一番上に、私の名前が載っています。これを誇りに思い、これから先も、自分の健康のため、そして、体験を語り広め、皆にカーブスの良さを感じていただきたいと思っています。
カーブスと共に、私も成長し、加齢に反発しながら、運動の楽しみを体験しています。これからも、心身ともに鍛えながら、歩んで生きたいと思います。
佳作
「カーブスは、第二の我が家」
カーブスって
どんな運動?
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