家から最寄りの駅のホームまで私の足で15分はかかる。ある朝、時計をみながら道路に出ると、バッタリお向かいのご主人と出会った。 あちらもやはりお出かけのようす。「寒いですね」のあいさつの声が同時に出て一緒に歩き出した。お向かいさんも駅に向かうらしく、 駐車場に置いてあるマイカーには見向きもせず、前屈みの腰を伸ばし伸ばしせわし気に足を運び、わたしと並んでほんの数メートル歩いたところで 「奥さん、ワタシ、8時29分の電車に乗ろうと思っていますので、失礼してお先に歩きますんで」というから 「ああそうですか、どーぞどーぞ、お気をつけて」と、わたしはすこし歩をゆるめた。 お向かいさんはわたしの先で、右をみて左をみて、腰を伸ばして、ソレっとばかりに車道を渡った。わたしはそのあと2、3台の車をやりすごした。

 駅に行くには渡った直ぐ先で右に折れるコースと、もう少し歩いて公園の手前で折れるのと、どこからでも繋がっているのだが、 お向かいさんは公園のほうから行くつもりらしく真っ直ぐ歩いていく。わたしはお先にといわれているのに追い抜くのも、 と、思う気持ちもあって右に曲がってしまった。どちらの道を行ってもやがては合流することになるが、後ろを付かず離れずに歩いているのもためらわれてのことであった。 やがて、曲がってから3分も歩くと左から来たお向かいさんとぴったり一緒になった。「やあ、随分歩くのが早いですな。最近膝のほうはいかがですか」という。さらに 「いつだったか奥さんが杖をついて散歩されているのをみかけましてね、かなり痛いんだろうなと思ったことがありましたが、最近いかがですか。 今見ていますと歩くのも早いですね。それに、姿勢もいいですな」 そういうお向かいさんは1年あまりも腰痛で苦しんでいるのだという。両手にストックを持って奥さんと歩いているのを見かけたことがあった。 今日は杖ひとつなく、そのうえ荷物もある。斜めに掛けたショルダーバッグと、手には紙袋。わたしは元気のお裾分けのつもりで紙袋を持たせてもらった。 それからお向かいさんは、「いやはや、いやはや」と掛け声のようにいいながら歩いた。 やはり辛いのだろう、時々止まって腰を伸ばした。

 そうして並んで歩くうちに突然 「それにしても奥さん。いつの間にそんなにスッスと歩けるようになったんです?」と訊かれた。 杖をついてよろよろ歩いていたわたしを、お向いさんがみかけたのはいつごろのことだろうか。カーブスに通い始めて3年半になるが、それより前のことだろうか。 整形外科に通院して電気を当てていたことも、整骨院でハリを試したこともあった。擦り減った軟骨を復活させることが果たして可能なのか、 テレビ通販の薬も試した。また健康番組で、膝関節に効くという体操があるといえば直ぐ真似てやってみた。痛くても歩かなくては駄目だ、 と聴けば杖をついてでも一生懸命歩いた。 お向かいさんはその頃の私を見ていたのだろう。 膝が痛いと、車には乗れても着いた先のスーパーで買い物をしてから荷物をトランクに入れるまでは、なかなか難儀なものだった。 「そうでしたか、やはり長い間大変だったんですねえ。わたしもこの腰痛では、ほとほと参っていますよ。手術はしない、と自分で決めたんですから、 医者にいわれたようにまずはどんなに痛くても歩くしかないですね。そうですか、そうですか。奥さんもよく歩いていましたねえ」 「ええ、それと器具を使った筋トレですね。駅前のカーブスに通うようになって、グンと筋肉がついてきましたね。いまでも行かないと不安になるくらいカーブス を頼りにしているんですよ」 「はあ、そのジム通いはそんなに効果ありましたか。駅前のどこにあるんです?」 おりしも駅前のアーケードを歩いていたわたしたちの前にカーブスの看板があった。 「ほほう、女性専用ですか。世の中はどこまでも女性が優遇されているようですな。それにしても奥さんの膝はもう完全に治りましたね。いやあ、ご立派です」 とわたしの歩きっぷりに驚くことしきりだ。「男性専用の筋トレの場所があるといいですね。カーブスにも腰痛で悩むひとが結構きていますよ。 やはり筋肉を強化すれば予防も改善もできるんでしょうね」看板をみながらまた止まって腰を伸ばしている。

 お向いさんの腰に早く幸いあれ。