私は82歳になるごく平凡な元主婦です。私が10年間介護した夫は平成22年3月、「千の風」になりました。
夫は若い頃は元気で愉快な人でしたが、黄斑変性症という眼の難病により両目を失明し、パーキンソン病も発症して可哀想でした。
私は、自分が寝込んではいけないと気が張っていましたが、人並みの老いは免れません。
夫が目が見えないことをいいことに、手抜きをし、チョイさぼりもやり、デイサービスにも行ってもらっていました。
私にとっての5大イベントは、子育て、孫育て、親の介護、夫の介護・・・そしてあと1つは、自分自身のPPKを目指すことです。
私は長い間、きつくなったり痛くなったりした時には、鍼やマッサージなどの治療に行っていました。
治療の後は、テレビや昼寝で体を動かさない、という生活を繰り返していました。
これでは筋肉は作られないのではないかと、なんとなく感じるようになりました。
治療は1回500円、週2回行くと月額の出費も大きなものになります。
以前、90歳代の方から「筋肉は90歳でも鍛えられる」という体験談話を聞いたことがありましたが、
その時は聞き流していました。でも、これでいいのかしらとぼんやりと思っていました。
娘がカーブスに通い始め、「手軽でいいよ」と言います。
10月半ば、私はぼんやりとカーブスの建物の中に入っていきました。
ここはかつて孫をピアノのレッスンに連れてきた場所です。あの後2、3の業種が入れ替わっていましたが、
8年前から女性のための体操教室になっているとは知りませんでした。
カーブスではスタッフのSさんが筋肉の大切さ、骨も筋肉で支えられているとわかりやすく教えてくださいました。
その後実技に入り、並んでいるマシンの使い方を手とり足とりで習いました。
これは背中の筋肉を鍛えるマシン、これは腕の筋肉を鍛えるマシン、と1つ1つマシンによって筋肉の鍛え方が違うということを習いました。
2周まわった後は軽くストレッチで30分。これを5日間習います。
これなら私でも続けられるのではないか、料金も鍼治療と比べてもそんなに変わらないと、頭の中でソロバンをはじきました。
会員になって、周りをよく見ると皆さん私より若いのです。気が引けました。そこで、スタッフのSさんに
「最高齢の人は何歳?」
と尋ねました。すると、「90歳代です。山登りが目標だそうです」との答えでした。
「私はまだいける!」と思いました。
毎月初めは計測があります。「秘密のひも」という荷造り用のひもをウエストの分切ったものを基に、ウエスト、ヒップ、腰回りと体重などを測り、
記録に残します。カーブスに入って半年近くになるけど、幸か不幸か、数字が動かないのが今の私です。
「数値が上がってないのがいいんですよ。」
とSさんに励まされます。
カーブス長住店には、小リスのようなN店長さん、小ウサギのようなS恵さん、小鹿のようなSさんの3人のスタッフがテンションアップでみんなに目を配り、
清潔をキープするために手を動かしながらも、いつもニコニコとしています。また、会員1人1人の名前を憶えているのにも感心します。
カーブスでは、下の名前を呼び合います。
「ひろこさん」と時々ほかの方を呼んでいるのを聞き、「ひろこさんは多いけど、1人ひとり字が違うんだなあ」と思います。
私の家では「おばあちゃん」は禁句です。
「ひろこさん」と、娘やお婿さんに呼ばれるのには慣れていますが、外で呼ばれるのはとても新鮮でした。
カーブスに通うようになると、同じ町内の知った顔が何人もいました。
「あら、あなたも?」
とお互いにヒミツを知り合ったような気になり、
「あの人、あんなに元気なのはカーブスのおかげだったのか。では私も元気でついていこう」と、私はこっそりと決意しました。
あるとき、カーブス長住店で東京に住んでいるはずの近所の娘さんに会いました。カーブスは全国に支部があり、どこでも同じ方式でできるとか、
「いい方式ね」と言いました。
2月に風邪を引き、10日間熱が引かず、食欲はあるのに安静にしなければならない時は、焦りました。
やっぱり病気は大損だ、健康に勝るものはないとしみじみ感じました。
私と同じ年の人はどこか悪くて入院したり、寝たきりになったり、痴呆になったりして、周りに見当たりません。
でも、私はもうちょっと元気でいたいと思います。夫の介護で失った歳月を取り戻さなければ人生のソロバンが合わない、と・・・。
元来私は楽天的で競争心がなく、つまりは怠け者。カーブスのスタッフの皆さんか見ると、歯がゆいかもしれません。けれども、マイペースでいいと思っています。
わたしより年長者の集まりに行くと、「あなたはまだまだ若い」と先輩のお姉さま方に言われ、係りになった時には腕章をつけて活躍した気分になるのも楽しいことです。
これもカーブス効果でしょうか。
さて、私が必死に育てた娘が、今や私のボスとなり、あと4年で教職を定年とか、それまで元気でいるようにと命令が下りました。すぐオリンピックもあります。
私の人生は、これから4年以上6年+α、カーブスで健康で元気な毎日をと、祈るのみです。
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