母、大内美代 88歳。カーブス新さっぽろサンピアザ店で最高齢者。『アイドル』ならぬ『ババドル』しています。娘の私でも会員7年目に入りました。娘から見た母の姿を書かせていただきます。
ちょうど一年前に『カーブスの風景』に、母を包み込んで下さる温かいスタッフ、会員の皆様に感謝の思いを投稿してみたのですが、その月末に母は自宅で猫の世話をしようとしてバランスを崩し、尻もちをつき、10年前に入れた人工股関節がはずれてしまいました。
ゴールデンウィーク日曜日早朝、起きたばかりの私の耳にドーンという音。嫌な予感で「転んだァ~?」と二階から叫ぶと、「ウン」と母の声。「動かないでェ~」とかけ降りる。(膝が悪い私は思うようには早く降りられない)尻もちついたままの姿勢で動けぬ母。すぐに救急車!
救急指定病院で、先に手術が入っていたため、しばらくストレッチャーの上で、痛い姿勢のまま待たされる。一言も「痛い!」と言わず。脱臼なので、レントゲン室で麻酔かけてはめ込んでもらえ、翌朝には退院。
看護師さんから「この年齢だと救急病院で2~3日入院して、手術した病院のベットが空き次第に病院から病院に搬送されるのが通常ですが、お元気ですね」と言われ、「カーブス通ってますから」と母。
「はずれやすい道が出来たので注意して」と言われたとおりに、四日後に入浴中ちょっとしたはずみに又、救急車のお世話になり、幸い同じ病院に運ばれ、同じ医師に「また来たの?!」と言われ、再びレントゲン室で、はめ込んでもらえました。
母を湯舟から助け出そうと、膝肩悪い私が火事場のバカ力で抱き上げましたが、ただ湯を抜けば良かったのだと後から気付く程、動転していたようです。又、悪化した膝と肩をほぐすようにストレッチしながら、暗い誰れも、居ない廊下で、一人待つ時間は長く、二度目の脱臼なので先の不安も有り、とても長く感じられました。その間に、母の今までの事が頭の中を流れていきました。
父が平成元年に亡なった後、母は一人で生活し、娘家族四人と一緒に暮らすようになったのが平成11年夏。そして、13~15年の三年間に5回の手術受けました。脊柱間狭索症、表皮ガン、右股関節と両膝に人工関節が入りました。
76歳までゴルフをしていた運動好きの母でしたが、続いた手術で筋力はガクッと落ちました。自宅での自己リハビリーでは回復は出来ないのでは・・・・・と思っていた頃に、母の散歩コース内にカーブスが出来た。くわしい内容はわからなかったけれど、近くに筋トレ出来る所があるのが嬉しく、早速母を連れて見学。体験もさせていただいたけれど、残念ながらその時点では母も私も、今はちょっと無かも・・・・・・と断念。マシーンはゆっくりなら使えても、乗り降りに不安でした。そそっかしい性格なので、まわりの人に迷惑かけまいと急いで、かえって悪化させると二人共思いました。
母のかわりに私が、一年間やってみようと入会。他にスポーツしていた私にはもの足りなさを感じていたのが、身体の軸を感じる効果があり、一生懸命になった時、左手首骨折。3ヶ月休会。再開した時に筋力が弱まり、左手首だけなのに、身体のバランスが崩れているのを痛感。それから、カーブスは私に必要な所と頑張り続けています。
母は娘の姿を見て、テレビコマーシャルも有り、娘の持ち帰るカーブスマガジンも熱心に目を通していたので、「今なら出来る!」と20年5月に83歳で入会。 月に10回位、散歩のついでに好きな時に、身体の調子と天候に合わせて、一人で出かけていました。
21年3月に、新札幌に移設が決まり、母は「遠いからやめる」と言うのではと思っていたら、「バスに乗って行く!!」と意欲的。
そこから母娘の『母のお供でカーブス通い』のパターンが出来上がりました。
途中私の膝悪化で病院、治療院通いのため、ワークアウトは一緒にしても、送る事が出来なくなっても母はバスで帰宅。私が肩手術で入院中も、婿さんに送ってもらい、帰りはバスでと、意欲的にカーブスを休まず楽しんでいました。
それが、昨年4月の尻もちという事になりました。二度もはずれた人工股関節は今度はずれたら、取り替え手術となるので、動作を制限するコルセットを装着することになりました。2ヶ月自宅リハビリー後、7月からカーブス再スタート出来、スタッフ、会員の皆さんに温かく優しく励まされています。昨年12月1日に88歳の誕生日をカーブスで迎えました。
入会した年の84歳の誕生日に「一緒にカーブス頑張ろう」とカードを付けて花束を渡しました。その時スタッフに囲まれた母の笑顔が最高だったので、今回計画たてました。土曜日一時で終了後、スタッフ居る中で花束を渡そうと。
スタッフもわかっていて下さって、88のプレートを用意して、写真も撮って、貼って下さいました。自宅で撮るよりずっと良い笑顔になりました。
母にとってカーブスはちょっと後輩のお友達、娘世代の人達、孫より若いスタッフに囲まれて、元気をもらい、笑顔になる所。そして囲りの人々も笑顔にしているようです。皆さんに「目標だからね~」と言われ照れるように笑っています。リハビリー施設とは違って、楽しく明かるく、たくさんの人達の前向きの温かさに助けられていると思います。
一年過ぎてもコルセットははずして良いという許可は出ませんでした。はずれやすい要素がある以上、安全のため装着して、今のままの日常生活が出来、ディサービスの大きな浴場で入浴も出来、カーブスにも通えるという生活を選びました。
以前カーブスの壁に貼ってあった言葉に『5年後の自分、10年後の自分を・・・』を思い出して、母は「ほんとうにこうして、4年間通って筋肉を作って来たから、今回の事も乗り越えてこられたんだねェ~」としみじみと言っています。
娘の私も膝悪化して4年、肩の手術をして2年経過しても、自分の身体の弱い所を知った上で、カーブスで動き、治療院で知識を得て、筋肉や骨を意識して生活し、趣味の運動も続けています。まさに『継続は力なり』を実感しています。細くスマートにはなれなくても、母は体年齢が10歳も若く、私も5歳若くを維持出来ているのは何よりの事だと思っています。
これからも、母をサポートしながら(カーブスでは母の専属コーチ)自分も見つめていけるよう努めます。母はこれからも、ニコニコ笑いながらワークアウトを続けていく事でしょう。 身体も心もリラックス、リフレッシュしてくれる所です。 本当に感謝しています。