今の私の一日の始まりは、朝食後散歩で、四十五分程歩き、その間主人がかたづけ等やり、自営をしていますので、その準備を二人で手分けしてやります。十一時近くになると、カーブスに行く支度をし、帰宅は丁度十二時頃になり、主人が食卓にはしを並べて待っております。
 急いで昼食の用意をし、店の仕事をこなし、六時半頃店を閉めて、夕食その他十一時頃に、寝ると言う規則正しい生活です。主人七十一才、私六十七才とお互い年金生活ですが、昔から店をしていた為、今も細々と商いをしています。普通の方より、ヒマがありません。


 これまで主人の両親を介護して来ましたので、健康のありがたさは、人一倍わかっているつもりでした。主人の母が九十四才で亡くなるまで、三度も骨が折れ、骨そしょう症で、骨はボロボロでした。入院中に腕がイタイと言っていましたが、その後体全体のレントゲンの結果、骨が折れて、自然と直っていたとの事でビックリしました。その為車イスになり、認知にもなり、介護もままならず、当時主人も仕事をしていたため、保建施設にお世話になりました。
 当初は介護一でしたが、五年目には介護四になり、私が六十一才の時、亡くなりました。当時は私も六十一才で、まだ足腰のおとろえは感じておりませんでしたが、なんとなく疲れがとれないしと思い 人間ドックで色々調らべてもらいましたら、黄色信号が着き、それから体重をへらす為、朝の散歩を三年続けました。
 すると、体重、体脂肪も少しへり、体も幾分軽くなりました。それで二年後のデータもよくなりましたが、それ以上の効果はありませんでした。
 これが停滞期かと思いましたが、この時が六十六才の時です。散歩は続けていましたが、足首やひざ、肩こりもひどくなり、整骨院に行く様になりました。月に二、三回は通っていました。その分時間がかかり、多い時は待たねばなりません。自営の為、中々思うようにはなりません。


 ある時新聞の広告に、カーブスが目に入りました。上官店は知っていましたが、人見知りの私は、ドアを開ける事がとてもむずかしかったです。
 しかし、筋肉を付けなければ、年をとって子供達の世話になるのはまだまだ心苦しいので、出来るだけ自分達の事は自分達で出来る様、又、主人も糖尿病でインシュリンを打っている状態ですので、私が元気で世話できる様にと思い、カーブスのドアをたたいた所でした。
 それが昨年六月。三十分の運動、仕上げの体操を週三回を目標に通い始めました。最初はついて行くのがやっとで 三十分は本当に短かい時間でした。  
 だんだんと慣れて、どの動きが体のどこにきいているのかは、三ヶ月頃からわかり始じめ、体も軽くなり、整骨院にはカーブスに通い始じめてから、いかなくなり、年賀ハガキに「その後体の調事は如何ですか?」と来ていました。 
 体を動こかしているのをいい事に、食事の量や間食がふえて、体脂肪がふえてしまっていました。年末、正月、いいわけにしかなりません。外食も多かったし、なんとズボラな性格かと、自分でひげしながら、もう少し気持ちをしっかり持たねばと思いました。


 その後、近所人から、「歩くのが速くなったネ」とか、「やせたんじゃない」と言われる様になりました。あまり体重は変わりませんが、時計がグルグル回わる様になり、靴も少しゆるんで来て、昨年まではけなかったスラックスやスカートがはける様になりました。今までファスナーか上がらなかったのが、スーッと上がって とてもうれしかったです。
 今年二月始め、100回記念のTシャツをいただきました。黒地に「100」の黄色も鮮やかで、私はもったいなくてまだ数回しか着ていません。今度は、200、300とTシャツをそろえたいと思う様になりました。
 一月からは、プロテインも飲み始めました。筋肉を早くつけたい思いがあり、飲んでおります。もともと便秘はなかったのですが、朝から二回出る時もあり、お腹がペッタンコになれて、本当に嬉しいかぎりです。
 固くてつまめなかった脂肪がやわらかくなり、ふとももの肉もつまめる様になり、夜寝る前にフトンの中で自己流マッサージをして、お腹をつまんだり、なでたりひっぱったりしてからやすみます。すると毎朝一番に、快便。それから毎度の散歩の後、又快便。なんと調子の良い事か。健康は腸からと言うそうですが、これからも、プロテインを飲み 体操にはげみ、自分流にやって行きたいと思います。
 月謝とプロテインは大変ですが、着る物、外食をひかえ、工面して、これからも出来るだけ長く続けて来きたいと思います。
 伯母が言っていました。「健康が一番、お金は後から、ついてくるョ」。