それは、ある日突然やってきた。
家族10人で賑々しく過ごしたお正月のイベント疲れから解放された、1月10日・・・。慣れているはずの肩こりとはどこか違う・・・。嫌な鈍痛を自覚した。
そして、その夜から激痛と格闘することに。あまりにも有名な五十肩・・・。たかが五十肩、されど五十肩・・・。どの集団にも必ず仲間がいるこの病気は、知られているわりには、これといった予防法も特効薬もない。痛さに対しての鎮痛剤や対処療法と「日にち薬」というのが現実だ。痛みで眠れない。痛すぎて泣けてくる。睡魔で横になっても激痛で目が覚める。そのくり返しで長い夜が明け、朝が来た。意を決して整形外科へ・・。
レントゲン写真を前に、若い先生は「ここに白く映っていますね。こうなると痛みは相当ヒドイです。」と説明された。リピーターの私は、あきらめ半分ながらも知っているだけに、痛みとつき合う日々を考えただけで、暗たんたる思いだった。白く映ったところは石灰化しているのだ。
実は、私は喘息と神経痛は長いつき合い。持病である。簡単に神経痛と位置づけていいものか定かではないが、23歳で腕が上がらなくなって以来、ほぼ10数年周期でこの災難に遭遇している。が、今回が一番強烈だった。春を迎えた今日現在も未だ進行形である。
発症した当初の、夜も眠れぬ程の激痛からは解放されたが、鈍痛と左腕の可動域は限界があり、日々不自由さを実感しながら暮らしている。こんな状態なのでカーブスはとても無理!と思っていた。
休みが続いたある日、退会手続きを相談するべくカーブスに電話をかけた。その折、スタッフにかけてもらった暖かい励ましにはとても感謝している。あの時に、親身に相談に応じ、誘い出してもらわなかったらそのまま辞めていたかもしれない。「腕はダメでも他は元気でしょう?」少しずつでも無理のない程度に身体を動かした方がいいこと・・・。できないマシンはとばしてもいいから・・・の熱いエールに励まされ不安を抱えつつも通い始めた。スタッフの助言があってこその、カーブス続行の決意だった。
自称シャイ人間、ネガティブな私は、長くカーブスに通っているわりには、言葉を交わす程の顔見知りはあまりいない。おしゃべりしながら楽しくワークアウト・・・ということも少ない。メガネをはずしているため、ほとんど何も見えていないことも、顔なじみができない理由のひとつかもしれないが。
ところが、この状況になってからというもの、知らないメンバーさんとも親しく言葉を交わすようになった。手を使うマシンのほとんどをとばしていることで、隣りの方に声かけや挨拶をしてスルーすると、なんとまあ五十肩経験者の多いこと多いこと・・・。
経験談から、評判のいい整形外科のこと、民間療法まで、たくさんの情報と助言をいただいた。痛さと辛さはたいへんな経験であったが、皆さんからの貴重なお話は、本当に嬉しいものだった。
今回の経験から、私も「五十肩の語りべ」となって、カーブスと痛みを両立させた日々を語れるメンバーになりたいと思う。痛みを知る人は、誰かの痛みをも理解できるもの・・・。家にひきこもらず、カーブスに通うことで他の効用もあったように思う。身体の不調や、ましてや痛みがある場合、外に出るのは気が進まず、ついつい家で過ごしがちである。そうなると、余計に気分は落ちこみ、自分の痛みにのみ集中して向き合う結果となってしまう。元来出無精の私は、テレビと本とおやつを友だちにしがちだ。
そのうえ、この冬の寒さと五十肩のダブルパンチで、ますます動かないカメと化していた。カーブスに出かけることで、少しずつ気力も充実し体調も良くなったことを実感している。相変わらず、痛みを感じるマシンは使っていないが、きっといつか全部のマシンができる日が来ることを期待している。
休んでいる間、暇とストレスを食欲と怠惰で解消した結果、4月の計測では残念な結果として数値に表われた。体重はもちろんのこと、ほとんどの数値がワースト記録寸前だった。日頃の食生活や生活習慣が反映されることをあらためて思い知り、反省材料となったのは言うまでもない。体脂肪を減らし、筋肉量UPを目差したいところだが、まずは五十肩の状況を見ながら 週3回のワークアウトを目標としたい。
※文中何度も使った「五十肩」ですが・・・。五十肩というのは総称であって、病名ではないはず・・・。肩関節周囲炎をはじめとする、その他もろもろの症状があることをネットで知った。「五十肩」を多用したことで、誤解をまねいては申し訳ないので最後に持筆しました。