もともと、体が弱くすぐに風邪をひいたり生理痛、偏頭痛持ちで一度頭痛がすると吐いたり気を失うように寝て起きなければならない日々を過ごしていました。当時は、やはり色々なやりくりもあり大変で仕事を持って頑張っていましたが!!
ある日余りにも生理痛がひどくなり出血と極度の腹痛から会社を休んで病院に行き診察してもらいました。
結果、(卵巣嚢腫)と(子宮内膜症)と言う診断でした。先生に、うちの病院では手術は無理だから、他の大きい病院に行って診てもらった方がいいと言われ紹介状を書くから持って行きなさいと言いました、愕然としました。何もしないで放って置くと野球ボール程の大きさになり手遅れになりやがてしに至りますよと言われました。
次の日、紹介状を持ち慌てて大きい病院に行きました。その日から、病院でもらった薬を使い卵巣を両方とる為の治療が始まりました。そんな薬をもらっても、手術するまでには何ヶ月も時間がかかりその間、生理痛の痛みを我慢しての日々を送りました。
そして、一回目の手術は内膜症がお腹の回りに付着してるのを取り除く手術でそれ程お腹を切る事もなく終わりました。
まさか!!生涯で二度も手術するなんて思ってもみませんでした。
二度目は、卵巣を全摘する手術で大分時間がかかりました。麻酔から目が覚めると、激痛が走り又自分のお腹を見て「ビックリ」!!
おへそから20センチ以上も切られていて大きなホチキスの針で縫われていました。言葉を失いました。
1週間程で退院し、自宅療養が始まりました。言うまでもなく、体調が良い理由がありません。無理に両方の卵巣をとったので、今度は更年期障害のような症状が始まり、まさに生きている心地がしなくなりました。子供達も丁度その頃、思春期だったのですごく生活面などで苦労をかけました。
卵巣を全摘したのですから良い理由がありません、女としての機能を失ったわけですから!!今まで、私が病気になる前は、笑顔と笑い声が絶えない毎日でした。まるでこれを堺にローソクの火をフッと消すように誰も会話をしなくなりました。何とかして、前のように家事などをこなしたいと思っても体がそれを許しませんでした。帰って来るたびに、又今日も一日寝てたの?夕飯の支度もしてないのと、皆に言われました。
それに又、追い討ちをかけるようにまさに、「ショッキング」な出来事がおきました。
前日の夜少し目が痛いなと思い軽く目薬でもさせば治るだろうと思いその夜は寝ました。朝になり、起きようと目をあけると!!
何?何がおきたの?目覚めた時、分かりますか?まさか何も見えない。一瞬にして、今度は目が見えなくなりました。
この時、あぁ不幸って続くんだな!!でもなんで私だけこんなに不幸にならなければならないの?神様も仏様も無いと思いました。こんな風になるんならいっそ死んでしまった方が楽になるんだろうなと思いました。
そこから又、病院通いの生活の始まりです。当然目が見えない訳ですからお父さんに手を引かれ仕事の合間をぬって病院に連れて行ってもらいました。何とその時の私の年齢は、38歳杖を付きながらアイマスクまでしてどう見てもおばあちゃんにしか見えませんでした。治療の結果一ヶ月程で良くなり何で目が突然見えなくなったのか分からずじまいでした。
そうこうしているうちに、家の近所のショッピングセンターを改装工事していてルピア函南店の上の方が家にこられて次にどんなテナントが入ったらいいと思うと言われ函南町には、運動施設が無いので簡単に出来る運動を入れて欲しいと希望しました。
勿論、カーブスの事は、全然知りませんでした。
それから、数ヶ月が過ぎ希望した運動施設がテナントに入りました。わらをも掴む思いで入会しました。全く運動をした事がなく、顔色も悪く体温もかなり低く最初は、続くのか心配しました。昔から何をやっても三日坊主の私ですから!!
始めてから一ヶ月が経った頃運動をした事の無い私がついはりきり過ぎて、足首を痛めてしまい、ドクターストップがかかりました。余り運動をした事の無い人が、急激に運動するとなるらしいです。暫くの間、休みましたが、頑張って続けて行く中、体調も今までのがうそのように良くなり今では、寝込む事もなく元気はつらつでカーブスに通っています。沢山のメンバーさんの友達も増え毎日笑い声が絶えません。
三日坊主の私が今年の二月で、丸三年目を迎えました。色々な、経験もして来たけれど丁度三年を迎えた事と、運動をして今の私がこれだけ元気になれた事を全国の皆さんにお教えたくて応募しました。
それと、毎日インストラクターさんの掛けて下さる声に支えられて今日が有ります。不幸な事もあったけど、人生はまだまだ捨てたもんじゃ無い!!
明日に向って頑張ろう!! そこには、きっと良い事が待っているから。
インストラクターの皆さんありがとう。
感謝の気持ちで一杯です。