昇る朝日の光をあびて、肘よ伸ばせよ我らが腕、ラジオは叫ぶ「壱、弐、参」昭和も十年代私が小学校低学年の頃、夏休みが始まるとラジオ体操が早朝から行われた。私たちが体操していると、近くのお年寄りの方達も来られて一緒に体操をされる。 
 見ていると、皆腕が伸びていない。足は上がっていない。リズム感が無い。横で見ている小学生の私たちは体操が終わってからそのみっともないまねをして、皆笑いあった。でも、老人達は皆一生懸命であった。
 今自分が気付けば、あの頃老人だと思っていた人達以上に、思いがけなく年を取り、自身が体操をしている姿を頭に思い浮かべてみると、きっとあの時、皆で笑った見苦しい人達のようであろうと気づくと、笑うより気分が悪くなる。膝も悪く、足もスムーズに動かない。そう、私は歳を取ったのである。知らぬ間に、望まないのに。 若い人達の人生から眺めると、笑われるような存在に成ってしまったのである。

 

 脳梗塞のため片側麻痺になった、家に帰ってこない企業戦士だった夫。一昨年、二十五年間看病した後亡くなり、私の人生は何だったのかと考える時間が増えた。気持ちの晴れない日々が続く。 子供が成人した後、資格を活かし、漢方薬工場の管理薬剤師として働いたときもあったが、主人の身体が段々弱ってきた事と、働く娘の二人の孫の面倒を見るため仕事を止め、家の事、家計の事、たった一人で切り盛りしてきた。
 その間、夫婦で旅行している友人。旦那に留守番を頼み家を空け、友達と旅行に行く隣人。孫のお迎えに運転できる主人がいたらと、いろいろ情けなく思うことも多くあった。 私の人生、何をしているうちに時が経ってしまったのだろう。やっと心おきなく自由に外出出来るようになったが、今度は身体が昔のように自由にならない。曇り空のような日々が続く。

 

 とある日娘が「一寸運動に行きますが、一緒に行ってみませんか」と言うので、付いていった。ホールで大勢の女性の方々が、運動やストレッチと、汗を流しながらの人もいて、それも気持ちよさそうにやっておられた。私は、八十歳で出来るかなと思ったが、なぜかものぐさの私がやってみる気になって早速申し込んでしまった。
 それが昨年の四月半ばもうすぐ新たな四月が来る。機具のなんたるかを今やっと自分なりに理解し、自分のペースで出来るようになった。大体が体操関係は苦手であったのに。
 カーブスに入って、週に三回は来るようにいわれるが、私は二回に決めている。朝体調が悪いなと思って、休みたくなっても、週に二回の事だから行きましょうと自分に発破をかけて出かけるが、言ってやり始めると別に調子も悪くなく、終わった頃にはとても気持 ちよく「ああ来て良かった」といつも思う。自分の体調に合わせられるということが良いのだと思う。無理はしない。
 若い人のようにはいかないが、「それなりに」がいいのか。
私はアブバックが好き。スクワットは始めに肩まであげるのが重くて大変だが、コーチの方々が目敏く飛んできて、手伝って下さる。ペックデックは、毎回、まるで磔になったように思うとおかしい。
 
 こうして約一年間、実感として成果あり。自分でも、驚き!
 両脇が縮んでいって背も低くなっていたのが、今は両脇がスッと伸びていて、姿勢が良くなってきた。だからアブバックが好きなのかも知れない。同年の友が「えらい姿勢がようなったな、ずっと行ってるの?」と言うので、三日坊主の私を知っているから、驚いているなと一寸得意であった。
 通っているカーブスの教室では私一人が髪の毛真っ白、エッチラオッチラやっているけれど、お友達も出来、みんなが声をかけて下さる。先日も「何年やっておられるの?」と聞かれた。 スムーズにできているのかなとちょっと自負。
 それと年齢を聞かれると本当は隠したい年齢だけど、皆さんがよりがんばれるようにと「八十歳。」と答える。コーチの皆さんにも大事にして頂いて自分では教室のアイドルと思うようにしている。

 時々は何年こうして頑張れるかと一寸不安になったりもする。でもやり終わった後の爽快感が大好き。
 これからも筋肉をつけ、孫がおばあちゃん髪の毛を染めて、明るい色の服を着てと応援してくれるので、スマートに颯爽と歩けるようになりたい。
 その姿を想像して、若い日を想い一人ほくそ笑んでいるこのごろ。春もそこまで来ている。後何年の人生かわからないが出来る限り何かやってみようと思う。このエッセイもその一つ。カーブスの教室に張り出してあったので、コーチの方に応募要項をもらうのは少し恥ずかしかったが、それも挑戦の一つ。 カラを破ってみよう。健康になれば何でも出来る。昔から言うよね、「心の持ちよう。健全な肉体に健全な精神は宿る。」と。
 カーブス万歳!
 頑張れ昔乙女さん!
 元気出してやりまっしょ!