私は五十六歳、一五二センチ、五十キロを行ったりきたり...
 忍びよる老化には抗いようもないが、年齢のわりにはパワーと持久力があると自負している。
 丈夫な身体に生み育ててくれた両親に感謝するばかりだ。
 ...が、三人姉妹の中で一番小柄で、母よりも小さい私のことが母にとっては気がかりだったようで、新婚の頃、主人の母に「子どもの事偏食、少食だったせいか大きくならなくて...」と、しきりに説明していたのを思い出す。
 身体は小さくても、姉妹一元気で力持ちだと自分では思うのだが...。

 年を経て、主人の母も私の両親もすでに他界し、あっという間におばあちゃんと呼ばれるようになった私がいる。
 主人の母や私の母のことを思うと、今こうしてカーブス通いと専業主婦を謳歌している私は幸せ...とつくづく思う。
 カーブスのドアを叩いてから、早いものでこの夏で丸三年になろうといしてる。
 こんなに長く通うことになろうとは、正直思っていなかった。
 なんとか一年は続けなくては...という気持ちだった。
 自信がなかったのだ。
 運動すること自体が、まず無理。好きではなかったから...。
 加えて、その頃の私は、家族以外の他人が苦手。外に出るのに勇気を必要としていた。
 そんなネガティブ志向の私が、ここまで続けられたのは奇跡に近い。
 凝り性のくせに飽きっぽい私は、主婦業母親業以外のことで長く続いたためしがないのだから...。
 好奇心を、保守的な性格が固くガードしていた部分も否めない。

 

 それでもここまで続けられたのは、カーブスのシステムが合っていた...というのがひとつの理由かもしれない。
 B型人間にとって、枠にはめられるのは苦痛を伴う。それは偽らざる真実ある。
 好きな時間にフラリと行ける気軽さがあってこそ、長続きするというものだ。
 流れてくる小気味良い音楽にのって、マシンとステップボードを軽やかに...
 その時間も、長すぎず短すぎず...
 家では、どんなに暇があっても、肩こりに悩んでいても、ひとりでストレッチなどする気になれないが、マシンの後は気持ち良く身体を伸ばしている。
 この適度な緩急モードが良いのだと思う。
 この時間、ストレッチしながら壁の貼り紙に目を向ける。
 スタッフの手によるそれらは、メンバーさんの記事写真、街の情報など実に多彩である。
 マシンは裸眼の私だが、ストレッチの時はメガネをかけて壁に向き合っている。
 ここから得た知識、情報は多岐にわたり、ありがたい。
 定期的にリニューアルされるそれら空間を、センス良くうめてくれるスタッフのご苦労には拍手をおくりたい。
 マシンで激しくなった動悸を整えながら、静かにストレッチ、目は記事を追い...この時間もまたなかなか魅力あるものである。
 ここまできたら、いくつまで続けられるか、自分でも楽しみ...となってきた。

 

 お産以外で入院したことがない私だが、主人と二人の息子は、偶然にも骨を痛める経験をした。
 主人は骨のガン、九ヵ月に及ぶ入院の間には七時間の大手術と抗ガン剤治療、つらいリハビリものりこえ、見事社会復帰を果たした。
 その後、長男は階段で転倒し手首を骨折、入院手術とあいなった。
 そして、あろうことか、二男までもが二度にわたり腕を骨折、やはり入院、手術。
 さすがにここまで続くと、お祓いに行こうかと真剣に考えた。
 その頃私は看病と日常生活のサポートに奔走していた。
 小さな私は、大きな図体の男どもの世話に追われたが、頑丈な身体のおかげでビクともしなかったのは幸いである。
 しかし精神的にはやはり辛かった。
 なぜ、全員がダメージを受けるのだろう...と、台所を預かる身をして責任を感じ、落ちこんだ時期もあった。
 重苦しい不安、黒くおし寄せる危機感を、身体を動かして世話に明け暮れることで忘れようとしていた。
 その頃はまだカーブスの存在を知るべくもなく、ただただ肉体的な強さだけで頑張っていたのだと思う。
 今こうしてカーブスに出会い、身体を動かすことの必要性をあらためて考えさせられた。
 筋肉量、体脂肪、体重の関連性など、身をもって理解できるようになった。
 毎月の計測では、時には望まぬ数字を見ることもある。がっかりしたり、少しの数値の変化に一喜一憂する。
 こんなことも、刺激的で楽しい経験だ。

 これまでの私が車一辺倒で、近くの買い物はもちろん、ゴミ出しでさえも車に乗ってた。カーブスへ行く日はなるべく歩いて...と思う。道すがら、お腹の中から身体の隅々まで風が入っていく気がして心地いい。
 健康を実感するひとときでもある。
 景色のきれいなところに旅したり、特別なことをしなくても、いつもの空間で、草花ひとつ風の匂いにも季節の移ろいを感じる。
 今では<骨折兄弟>の息子たちも結婚し、お嫁さんにバトンタッチした。
 ...が、主人は長年の相棒である私以外の選択肢はない、この先、年齢差や<カーブスガール>の実績からして、私の出番が来るかもしれない。
 当然、その逆の可能性も考えられるが...。
 健康で自立した老後をおくるためにも、生涯運動を続けられる環境であるよう願っている。
 母が逝った五十九歳が近づくにつれ、生きていることの意味やこれまでの人生を考えるようになった。
 人はひとりでは生きられないことを実感する。
 そう思い至るにつけ、森羅万象全てのものが何かしら関わっていることに気がつき、感動し感謝の想いに満たされる。
 そして、三年近く通っているにもかかわらず、未だマシンの使い方に疑問が残る劣等生メンバーの私に、たえず目配り気配りをしてくれるスタッフに「これからもよろしく」と伝えたい。
 若い彼女たちに「年をとるのも良いものだ」と思ってもらえるよう、より一層の努力を惜しまず通い続けたい。
 さあ、今日も元気良くカーブスのドアを開けよう...!!