「行ってきます。今日はカーブスの日です。」
「行ってらっしゃい。転ばないように気をつけてね。」と主人。勤務をやめてから主人も私も毎日が日曜日になってしまいましたが、カーブスへ行くようになって生活リズムもきちんと変り、張り合いもある毎日です。
子供の頃、体操時間は嫌いだったし、体育だけが成績おもわしくなかった故、近所の奥様からお誘いされてもこんな年齢だし、自分に筋トレなんかできっこなし、と思っていましたけれど...それが今では週三回バッチリ行くようになって早いもので二年近し...寒い日も暑い日もカーブスへ行けばみんなにこにこ。名前も住所もはっきり知らぬまま、しぜんに声をかけたり、かけられたり、今日もいいことひとつありの嬉しさ。心も体も今日こそは、明日こそはの気分でもある。
会員の皆さん、それぞれ共通の目的をもって、音楽にのりながらマシーンを操作、「こんなに楽しくて短時間、しかも自分のためになる。」七十才になって女性のみの筋トレ、カーブスに大感謝である。このマシーンでは太ももをすっきりを意識して、脚の筋肉とマシーンで対話してもらいながらくり返し、自由ボードへ。次のマシーンは「ポッコリおなかをスマートに」を目標に。...何と云っても先ず健康である事が第一、健康でありたいと常に願っている毎日です。
若い時は食事も美味しく食べられるのはあたりまえ、普通に歩けて走れるのもあたりまえの気らく?であったけれど人生七十才を過ぎると、あちこちガタがきて思うように機敏に動けず、勤務中に仕事の大先輩から「四十才の時の疲れと七十才近い時の疲れは大きく違うのよ。」と云われた言葉を納得、この年齢になって改めて「なるほど、本当の事だったんだ...。」と先輩の言葉をかみしめたりです。
ストレッチは家でもできるので、自分にきびしくできるだけやるようにしています。自分の体は自分が一番判っている心算だし、その気になって前向きにならなければとも思います。スタッフの皆様、そして会員のひとことも社会勉強の一環でもあり、道で会った時も挨拶したり色々心を開いて話せるので嬉しいです。
在職中は全国的に出張があったり、外国へ行けたりで予期せぬ出会いもあり、少しでも人生経験豊かになれればと苦労もあれど楽しい仕事だったので、続けたくともスムースに行動出来にくくなってしまい、やっと退職させてもらった訳ですが「お前に合わせて一緒に歩くと疲れてしまう...。」と主人に云われ(主人は身長も高いし普通に歩いても小さい私は追いついて歩くのは大変だった)、「だったら私をおんぶして歩いてください」とでも云いたい位でしたが「きちんとカーブスへ行ってるから前よりは早く歩けるようになってよかったねー。」と云われて、ほっとしているこの頃です。
私小学校五年生の時、母が倒れ病床についたままになってしまい、五人弟妹の長女だった私は当然母親代りとなり家事をする羽目になり、食事をひと口ひと口母の口に運び、おしもの仕末をしてから学校へ。文字通り心も生活もどん底、お見舞に来てくださった人から、「神様に朝一番に水をあげ、その水をきれいに流れている川まで行って流してきなさい」と云われればそれもやり、六十五年前のそんな事を思いだすと藁をもつかみたいその時の自分が懐かしく...。
でも、自分は母のようなそんな状態にはなりたくないし、勿論家族や親戚に迷惑をかけたくない。父は四十八年間の看病のために生きぬいたようで、今更ながら、「もっと普通の人と同じく人間らしい生き方をしてほしかった」と、父とは申せども気の毒だったと思えてしまいます。
人間生れてきたからには生きて行かなければならないので、せめて自分の事は自分でもできるようになっていたい。世の中、一人では生きて行けないし、沢山の人のおかげをいただいて衣食住できているんだし。人生出会いとも思います。良しきにつけ悪しきにつけ過去は過去であって、とりもどす事はできないけれど、完璧とは云えないまでも、これからを背伸びせずとも自分らしく考えて行こうと思っています。
...毎月計測をしてもらっていますが、特に二月の計測後「云う事ありません。良かったですね。そして体年齢は五十七才です。」と云われ、ほんとにびっくりしたり、嬉しかったりです。体重は最初の時からマイナス二キロ、今はそれ以上増減なしなので現状維持をして行きたい処です。そして行きたい時に行きたい所へ主人と旅行したい事が今一番のたのしみの毎日です。そして小さくとも沢山の思い出をつくって行きたいと思います。