一、40年程前隣の町から縁あって嫁ぐ
当時はハネムーン(東京方面か)列車が出た程九州方面への二人組は多く、一様にスーツ姿のカップル...
二、嫁ぎ先はお寺、四人の子供恵まれ
それぞれ、四人四様の生活。
二番目の娘が後継者を連れお寺に入る。
三、八年程前、自分の不注意でA12:00まわってから階段からころげおち圧迫骨折入院
春の4/26~5/3その後自宅療養
真夏を境に自己流リハビリ
秋~冬自然治癒まかせ真冬に入る。
四、新年迎お寺行事等うまく出来ず。
秋頃まで、お医者さん、点々とかえる。
五、10月秋祭り辺人様に会えなくなる。
この辺から友達がカーブスへさそってくれた。
送迎してもらい、二、三回は、友達の車。後は家族に支えられ
一年以上は、車運転できず。
六、カーブス二年目六月小さい軽ワゴンピンクと白
ツートンカラーと出会い、元気をもらう。
この辺りから、私の人生、カーブス人生です。
七、カーブスへは片道20分程。
これが、コーチ陣の言葉をくり返し、
自分の心にきざんだ「絶対筋肉はうそつかない」
八、コロナこれはきつい。
やっと、リズムがとれてきたのに!
でも、週、二・三回行くだけでも私のリハビリ。
血流症害にて、全身の痛みとしびれ、他人様には、伝わらない!と、黙々と自己流リハビリ。
目標は、筋トレできなくても会場までの運転、車内での腹筋・表情の顔トレ
やれる事を、やるとあっという間に、自宅
九、筋トレと四才になる孫の日々成長する姿と、数字でみえてくる、データ私の宝物
十、WBCで活躍した大谷君の姿を見て、ヤキュー音痴私は、号泣した。
気圧変動で調子悪い中、TV前にくぎづけ
家族が私の背中をなでてくれた。
記憶に未だ新しいオリンピック・パラリンピックも号泣した。ずーっと痛みとお友達だから、より感動した。
十一、四年目に入り、コーチに言われた。
初めてこられた時
「この人をコーチしていくの...」だったと。
本音を耳にした。
今は別人だものーッ、と
実に有難い。100年時代などと耳にする様になった今、「心の奥に」
私もここは、通過地点
90過ぎても元気でいたいと...
四月に入ってからは、まだまだやるわよーっと、コーチに口に出して言える様になった。
計測では、一つだけど若返りました。
以上