二〇二二年、昨年も怒涛の一年だった。何も起こらない人生なんてないのだけど、どうして、こんなにも色々と次から次へと困難にぶつかるのだろう、というくらい目まぐるしい一年であった。
 
 コロナ禍三年目。少しずつ緩和されてきてはいるが、人に会うこと、外出することが億劫になってきている人が多い。私もその中の一人である。しかし、私には、長年続けてきた筋トレがあり、カーブスが週四回通う場所である。
 
 昨年八月に、八十二才で母が亡くなった。母は四十代からリウマチになり、年々症状が悪化し、手の指が曲り、どんどん自分でやれることが減っていった。ここ数年は、足も不自由になり、外出することも減った。家の中で転び骨折してからは、歩行器を使っていた。

 コロナ禍とも重なり、増々外出することが減り、晩年は寝たきりの生活になった。動かないので食も細くなり、どんどん痩せていった。そんな母は、急性胆のう炎で亡くなった。人生の半分は病気と闘った。そんな苦しい人生の幕を閉じた。

 カーブスのメンバーさんを見ていると、お母さんを連れて一緒に筋トレをしている方がいる。その姿をみると、私も母を連れて来ていれば良かったのだろうか?と思った。

 でも、今こそ私も子育てが終わり、カーブスに昼間通うことができているが、子育て真只中の時は、"母を連れて一緒にカーブス"なんて到底無理だった。後悔しても、もう母はいない。母がリウマチを発症した年令を私はとうに越した。私は元気で母と同じようにならないよう元気でいることが、私の大切な家族のためだと思うようにしている。
 
 それからすぐ八月の末に、家族全員が一気にコロナに感染してしまった。マスクができない孫が最初に陽性となり、家族感染してしまった。のどの痛みから始まり、発熱は2日ほどで軽症だった。しかし、十日間の自宅療養は体力の低下(特に、足の筋力の低下)につながった。味覚の変化が表れた。以前は、甘い物が大好きだったのだが、全く受けつけなくなった。のどが物凄く乾くようになった。食欲も落ち体重も減った。幸いにも、孫と息子夫婦は、全く元気で、どこにも外出できず力をもてあますほどだった。十日間の療養期間が過ぎ、家族と外出した時、急に具合が悪くなった。車から降りようとした時、目の前が真っ暗になり意識を失ったのだ。ふらついて家族の手を握ったところまでは覚えているが、その後は全く覚えていない。家族は救急車を呼んでくれた。救急車の音で意識をとり戻した。救急車の中で少し様子をみて自宅に帰った。自分でも、死んでしまうのではないかと思ったぐらい恐かった。普通の生活に戻ってからも、しばらく体調は良くなかった。
 
 すぐにカーブスへ復帰したが、足を鍛えるマシンをする度に、自分の筋力の低下を実感した。十年も筋トレしてきたのにどうして?と、思ってしまう日々がしばらく続いた。感染後、カーブスに復帰する際、周りの目が怖かったが、コーチがサポートしてくれ、私の不安を取り除いてくれた。だから、今もこうしてカーブスに通い続けている。
 
 今年の一月末に、会社の大切な先輩が脳出血で倒れた。急なことだった。昨日まで一緒に元気に仕事をしていた。倒れて入院したと聞いた時は信じられなかった。私より四才も若いのに。学生の頃から卓球をしていて体力にも自信があった人なのに。食べることが好きで、あちこち食べ歩きをしていたのに。職場で機敏に動いている姿が頭から離れず、事実を受け入れられなかった。

 未だに、コロナ禍で病院へ御見舞へは行けない状況だ。家族も面会に行けないようだ。集中治療室から一般病棟へ移ってから、ラインに既読がつくようになった。「既読」の二文字を見た時、涙が溢れた。それから私は、毎日、「おはよう」のスタンプを送った。最初、「既読」しか付かなかったが、スタンプが返ってくるようになり、打ち間違いだらけの文が返ってくるようになり、今は、漢字に変換された間違いなしの返事が送られてくるようになった。

 右半身が効かなく、文字も書けないそうだが、少しずつ回復してきているのが日々わかる。その先輩は、私が不安障害・うつ病から社会復帰し、仕事がなかなか覚えられない私に、親身になって教えてくれた。今の仕事を続けていられるのも、その先輩のおかげなのだ。

 また一緒に働ける日が来ることを願い、毎日「おはよう」スタンプを送ることにしている。そして、リハビリの一つとしてカーブスでの筋トレを勧めたいと思っている。
 
 そんな事を言っているが、私の体も心も今悲鳴をあげている。早朝六時から九時の仕事のため、毎朝四時半に起きる。五時半に家を出て、十五分ほど歩いて職場へ向かう。息子夫婦はフルで仕事へ行くので、家事全般は全て私。夕方四時には孫の保育園へのお迎え。孫をお風呂に入れ、夕食の支度をし、食べさせる。家族全員の食事が終わり、後片付けをし、翌日の朝食の準備をしお風呂に入る。洗濯を干して寝るのは翌日になってしまうのだ。私の日常を綴ったが、同じような人は多勢いるだろう。もっと忙しい人もいるだろう。しかし、昨年の八月のコロナ感染後から体重が減り、なかなか今も食欲と体重が戻らない。ふらついたり、だるかったりする。おまけに、時間に追われる生活と睡眠不足。昨年冬に、血液検査をしたところ、低カリウム血症だった。薬を服用し治療はしているが回復しないので、現在、大きい病院で精密検査中である。
 
 数年前に、「腰椎すべり症」がわかり、足をつくだけで痛く歩けなかった時、痛くてもカーブスに通い続け、痛みがなくなり歩けるようになったので、今も体調が悪い時こそ、一周でも良いのでカーブスへ足を運ぶようにしている。
 
 ある日、私が体調が悪い時、コーチは「薫さん今日、調子悪い?」とすぐ声をかけてくれたのだ。正しくその通りだった。その日は、朝から頭が痛く、体もだるく、また、精神的にも疲れていた。日々の生活が忙し過ぎて、カーブスに通う時間が思うように取ることができず、続けていけるのかどうか悩んでもいた。Aコーチは、私の悩みを親身になって聞いてくれた。自分のことのように涙を流し聞いてくれた。私も涙が溢れ出た。その日は、一周のワークアウトだったが、心も体も軽くなったようで笑顔になり帰ることができた。
 "心が変われば体も変わる"
 "体が変われば心も変わる"

 本当に、この言葉はカーブスその物だ。
 
 筋トレは、筋力をつけ、体が引き締まり、痛みがやわらいだりする。また、ストレスが軽減される。
 
 今の私にとって、カーブスは"心のワークアウト"だ。心優しいコーチ達にサポートされながら、どうにかここまで続けてこれた。
 
 この一年、様々な出来事があったが、どうにか続けてこれた。それらの事から、「食」は大切(食べることは活力につながる)ということも実感した。これから一年、元気で過ごせるよう、自分のペースでカーブスに通いたいと思う。
 
 この一年ありがとう。心をこめて。