カーブスに通うことが私の日課になっていた頃。実家で母は一人暮らしなので、時々様子を見に行くことにしていた。
 この日も行って老いた母の代わりに電球交換をしたり荷物の移動をしたりしている私の姿をまじまじと見ながら「股関節は痛くないの?」と尋ねてきた。
 
 「別に、普段と変わりないけれど。」と私は何の疑問も持たず答えたのだった。昔、母から私は先天性股関節脱臼で生まれ、生後まもなくして「リ・メンビューゲル」というベルト型装具を数ヶ月間つけて治療したことは聞かされていた。
 
 小さな赤ん坊が体に装具をつけた姿は、母にとって痛々しそうに見えて辛かったのだろう。この当時の私の写真は殆んどない。あっさりとした返事に母は「今だから言えるけれど、当時のお医者さんからは四十歳くらいになったら歩行困難になるかも知れない、と言われていたのよ。」と安心した様子で話してくれた。
 
 話は私が社会人になって仕事をしていた二十代の頃になるが、営業で回っていた取引先の四十代くらいだったろうか?女性が私と同じ先天性股関節脱臼で生まれ、股関節が痛くて歩くのも辛いから今度人工股関節置換術を受けると言う。
 その女性とは股関節で共通の悩みを持っていたこともあり「あなたも気を付けなさいよ。将来こうなるかもよ。」と言われた。
 
 それで私は二十代現在の状況を知っておきたいと思い、整形外科に行き股関節のレントゲンを撮ってもらった。お医者さんはレントゲン写真を見ながら「右は大腿骨頭が臼蓋に覆われているが、左は臼蓋が大腿骨頭に半分くらい程しか被っていない状態だから、今後出産や体重増加など、股関節の負担になることは気を付けて大事にすること。」と言われたことを思い出した。
 確かにヒールを履いて営業で歩き回った日の夜は足のつけ根が痛くなっていたので、ヒールが低い靴を選んで履くようにしていたのだった。
 
 その後結婚・二度の出産・慌ただしい育児などで、整形外科でレントゲンを撮ったこともお医者さんから言われていた忠告のこともすっかり忘れていた。
 運動不足を解消したいくらいの軽い気持ちで偶然TVCMで知ったカーブスに入会したのが三八歳だった。
 改めて思い返すと、本来なら何もしなければ年々落ちていく筋肉だが、何気なく通っていたカーブスのお蔭で筋肉が維持され股関節を痛みから守ってくれていたのだと思う。
 
 それと二年半前に一つの転機がおとずれる。主人の転勤で福岡県に引っ越すことになったのだ。私は高松レインボー通り店のコーチに相談したら、すぐに引っ越し先の住所から近い薬院店を紹介して下さり、引っ越しが終わったら通えるように薬院店のコーチと連絡を取って下さった。
 
 荷物の片付けも終え、予め電話で初回伺う日を伝え、行ったことのない店舗のドアを開いたら「久美子さん、お待ちしていましたよ。福岡にいる間は私達が健康のお手伝いをさせていただきます。よろしくお願いします。」とコーチ達が笑顔で出迎えて下さいました。
 
 マシンもそうだが貼ってあるポスターやポップも高松レインボー通り店とよく似ていて、親近感が湧く気持ちでマシンを動かすことが出来た。
 何回か通ううち、薬院店での会員が長い方だろうか...「最近見る方ね。入会したばかり?」と話しかけてきて下さった。福岡県と言えば博多弁。
 「よかよか。」「かわいいっちゃねぇ。」薬院店の方々が交わす言葉を聞いているだけで、心も身体も元気になって帰ることが出来た。
 
 生まれてから四七歳になるまで一度も地元香川県を離れたことがなかったのに、体調も崩さず福岡県での生活を楽しく過ごせたのは、ひとえにカーブスがあったからだと確信している。
 私には知らない土地に来ても出掛けて行ける場所がある!寂しく感じることはなかった。
 
 そして昨年十二月に主人の仕事でまた香川に戻ることになった。全コーチの心温まるメッセージが書き添えられた誕生日カードを二回いただいた薬院店から、再び高松レインボー通り店に私は戻ることに。
 
 高松レインボー通り店のコーチにその知らせのため電話をした時「パートや家事で体は動かせているけれど、バランスよく動かせているわけではないし、やっぱり自分はカーブスに関わっておきたいと感じている。」と言ったのだ。
 正直自分でも驚いた。けれどこれがカーブスに通い続けること十三年。プラチナカードになった私の体がこれまでの成果を知っているからこそ出た、嘘偽りのない気持ちであり言葉だったのだと思う。
 
 薬院店に通い始めてすぐにコロナが広がり帰省の際にトラベルパスを使えたのは一度だけ。久しぶりの高松レインボー通り店へ。
 引っ越し前から勤務されているコーチからは「お帰りなさい。」新しいコーチからは「よろしくです。」言葉を交わす間柄の人達からは「戻って来れたのね、良かった!」
 
 言葉を交わす程でなく挨拶程度の人達でも、一度高松レインボー店を離れる前から変わらず続けておられる顔ぶれを拝見することが出来て懐かしさで嬉しくなった。
 こうして私の高松レインボー通り店でのカーブス生活がまた始まった。
 
 カーブスには幅広い年代の方々が通っていらっしゃる。今年五十歳になるので私より若い人もいらっしゃるが、どちらかと言えば年上の方々が多い。
 その方々のマシンを動かす姿、ワークアウトの前後で他の方と話される表情、入店退店の際の立ち居振舞い。そのどれもが素敵だなあと思っている。
 
 私は更年期に該当する年齢なので月経不順は当然あるが、発汗やほてりやめまいなど、一般的に知られる症状は今のところ私にはないが、もし症状が出たとしても私にはカーブスで今日もいきいきとされている人生の先輩が大勢いらっしゃる。
 その方々を見ているだけで「私もああなりたい。」と思えてワークアウトをする勇気が湧いてくるのだ。
 
 臼蓋形成不全から起こるであろう股関節の痛みから私を守ってくれているカーブス。そうは言っても何れ痛みは徐々に表れるかも知れないが、その時は心強いコーチがいる。
 パートや家事に追われて一週間足が遠のいた時には心配して電話を下さるコーチ。来れていないことを決して責めず来れる日を待って下さるコーチ。
 
 パート前に行くと「時間を上手に使って来れて凄いですね。」と褒めて下さるコーチ。疲れていたのでマシンを一周だけして帰る日には「一周だけでも来てくれてありがとうございます。」と喜んで下さるコーチ。
 そして健康でありたいと願い通われている会員の方々、中でも私より年上の方々は私の目標でもあり理想でもあります。
 
 これらが私が「カーブスを続ける理由」です。これからも末長くよろしくお願いいたします。