私がカーブスに出会ったのは2013年5月25日(土)の事でした。それまで4年ほど続けていたヨガスタジオが移転し継続が難しくなり、何か体を動かしたいなと思っていた時に、市役所近くにオープンしたばかりの『カーブス』の紫色の看板が目に入りました。
『女性だけの30分健康体操』の宣伝文句に惹かれ扉を開き体験を経て即入会。
何事に対しても凝り性の私はカーブスに対しても例外ではなく時間の許す限り通い、マシンも精一杯動かしていました。
そして2週間経った頃、ひざに違和感を感じながらも通い続け、1週間後には痛みに変わってきました。
「私にカーブスは合わないんだ...」そんな風に勝手に思い込み通うのを止めてしまいました。このままスタッフに何も言わずに辞めよう、と思った事もありました。
しかし、このまま辞めたとしたらきっと私は「カーブスに行かない方がいいよ、私はひざが痛くなったのよ」と友人に言ってしまうだろうなと感じ、何故かそんな自分にはなりたくないと思いました。
そして通うのを止めて2週間後、勇気を出して、店舗に行き、スタッフにひざの痛みを訴えました。じっくりと話を聞いてくれた店長のJさんは
「マシンの使い方が間違っているのかもしれないからもう一度しっかりおさらいしましょう!」と12台のマシンはもちろん最後のストレッチまでずっとそばについて実にきめ細かい指導をして下さいました。
その誠意ある対応に、私は「コーチを信じてもう一度やってみよう!」と誓いにも似た決意をしました。ひざの痛みは薄れていたものの違和感はまだありましたが、再びカーブスに通うようになりました。
マシンとストレッチの正しいやり方を覚えたお蔭でひざの痛みや違和感は嘘のように消えました。一台のマシンを動かせる時間はたったの30秒。その間に出来るだけ早く大きくマシンを動かす。
今、どこの筋肉を動かしているのか、その筋肉に全神経を集中して理想の体型を目指す。筋肉の大切さ、筋肉を作る蛋白質の重要性、カーブスで多くの事を学びました。
カーブスで出会った友人も増え、カーブスへ行く事が楽しくて仕方ないほどになりました。体のサイズに大きな変化はありませんでしたが、私が強く感じたのは精神面です。
2018年春頃から川崎に住む実家の母の認知症が進行し、私はその事を受け入れられず精神的に追い詰められ、この先、どうしたらいいのか、離れて暮らす両親の面倒をどうやってみればいいのか、悩みは尽きず、気が滅入る事もしばしばでした。
そんな時でもカーブスに行き無心になってマシンを動かすと30分後には不思議と
「くよくよ悩んでも仕方ない、なんとかなる!」と前向きに考えることが出来るようになりました。
この様な事は一度や二度ではなく何度もカーブスに救ってもらいました。
2018年12月実家の近くに住む娘の第2子出産の為に2か月間実家で暮らすことになり、東金店を休会し、実家近くの柿生店に入会。
2か月間柿生店にも楽しく通いました。2019年2月から東金店に復帰しましたが、柿生店を辞めることはなく2店舗に在籍する事にしました。
その頃から母の認知症は更に進行し、私はひと月の内1週間は実家に泊まり込み、滞った家事、庭の手入れをして過ごしました。
自宅では東金店、実家滞在時は柿生店、と2店舗に通いました。カーブスに行く事は私にとってかけがえのない時間となっていました。
実家に行く事を東金店にスタッフに告げると笑顔で「行ってらっしゃい!」と声をかけてくれ、実家から戻ると「お帰りなさい!」と迎えてくれる。
この些細な声かけもとても嬉しいものです。また、柿生店には月に1週間しか行けませんがそれでも
「みよしさん、こんにちは!」と名前を憶えて下さっていることに喜びを感じると同時にスタッフの記憶力の凄さに驚かされました。
2019年6月には両親二人だけでの生活は無理だと判断して両親を東金に連れてきました。我が家の隣に住む両親に3食を届け、2世帯分の家事をこなし、
「私は川崎に帰ります。」と何度も言う母に悲しくなりながらつらく当たってしまう自分に嫌気がさす。そんな日々が半年続きました。
11月4日に父が突然倒れ14日間の入院の末意識混濁のまま他界、29日には母が認知症専門のグループホームに入所。
寂しさの為か母の認知症は一気に進み、父の死も理解出来ないまま4月10日に死去。5ケ月足らずで両親を失い、私は精神的に不安定となりました。
更にコロナ禍でカーブスが2カ月お休みになった時は体力の衰えだけでなく精神的にも私にとってカーブスがいかに大切な存在になっていたのかを再認識させられました。
主を失った川崎の実家へは今でも月に4,5日行き、部屋に風を通し、庭の草取りをして必ず柿生店にも行きます。
2枚のゴールド会員証は私の自慢です。
2020年の11月に買い物中に偶然会ったカーブスの友人が「今月カーブス皆勤賞なの!」と嬉しそうに話してくれました。
皆勤賞...... 魅力的な言葉でした。娘は中学、高校の六年間、息子は高校の三年間皆勤賞。でも私は皆勤賞など今までの人生でとった事はありませんでした。
「私も皆勤賞を取りたい!」それまでは雨だから行くのが面倒、何となく気分がのらないからお休み等々ずる休みがしばしばありました。
でも、心を入れ替え皆勤賞を目指しました。そして2020年12月から2022年2月までの15か月間皆勤賞を続けています。
2021年のカーブスカレンダーの最終ページには東金店のスタッフの皆さんにメッセージを書いてもらいました。
励ましの言葉の全てが私の宝となりました。そして私の毎晩の楽しみは寝室にあるカーブスカレンダーのその日の日付を赤いマジックで丸く囲い
「今日もカーブスに通えた!」と満足して眠りにつく事です。
筋トレをして筋肉、体力をつけ、体温を上げ自己免疫力を高める。これこそ一番のコロナ対策です。友人が増え、楽しくて大好きな場所カーブス。
好きという言葉では足りない気がします。どうやら私はカーブスを愛しているようです。喜々としてカーブスの素晴らしさを熱く語る私に
「そんな素敵な場所に出会えてよかったね。」娘と同じ歳の友人の言葉に大きく頷いた私です。