私は今年で49歳になった。45歳で奇跡といわれた高齢出産の日からもうすぐ4年経つ。子供は3歳9か月だ。早かった。『日々子供の成長を見守り、この子を無事に生かして明日を迎える。』当たり前で簡単なことのようだけど、本当に子育ては想像していたこととは違い大変だ。こんなに大変とは夢にも思わなかった。
 
 子供を朝起こして着がえさせ、ご飯を食べさせ保育園に送る。そして自分は仕事をして夕方迎えに行き、帰宅後は数々の家事をこなしながら、子供と遊び話をする。あっという間に夜になってお風呂に入れて寝かしつけ。休日は掃除や洗濯、買い物、子供と公園に行ったり、他の家族の世話もある。夫がいればカーブスに少しでも行く。本当に1日があっという間に終わる。今日、私は何をしたのか?と思うこともしばしばである。
 
 その中でも、とにかく日々パワーアップしている子供の予測不能な行動に安全を守りつつ駆けずり回るのは並大抵の体力では追いつかない。一瞬目を離せば何があるかわからない。遊んで笑いながらも心はいつも緊張している。
 『今この子に何かあったら私の責任だ。私が守らなければならない。』と気負いながらの毎日ではあるが、子供はこちらの気持ちや腰痛などお構いなく縦横無尽に飛び回る。1日付き合うと本当に疲れる。
 でも子供が「ママ大好き!」何て一言言ってくれようものなら疲れは一瞬で吹き飛んでしまうから不思議だ。本当に子供は天からの授かりものだと思う。この子がいなければ、気付かなかった空の色や雲の様子。外の木々の美しさ、草花の健気な強さ。散歩中にかわすご近所さんとの何気ない会話。そしてご近所さんからの「わー大きくなったね。頑張って!」等の励まし。保育園の先生からの子供の様子を聞く楽しみ。他の小さな子供達との触れ合いもたまらなく心が安らぐ。そして、たくさんの絵本や紙芝居との出会い。思わぬ知識が増えてきているように感じる。毎日本当に大変で、あっという間に過ぎてしまうけど、私は『忙しくて大変な日々』を心から愛おしく思っている。
 
 子供が私のおなかに宿ってくれるまでは、孤独と自分がどこか不完全な人間であり、そのために子供ができないような寂しさがあった。本当に苦しかった。不妊で悩む女性は自分を責め人知れず苦しんでいると思う。でも、子供が生まれてくれ、大変なことも沢山あるけれど今こうして子供と過せる時間は、自分にたくさんのものを与えてくれている。あの暗く長い、先の見えない不妊の日々に比べたら今は幸せだ。この幸せを維持するためには自分が健康であることは最低条件だと思う。
 
 だから私はカーブスに通う。たとえ月に4回しか行けなくても、時間がなくて一周しかできなくても続ける。自分が健康でなければ子供の成長をともに楽しめない。子供が成長すれば自分もまた親として人間として少しは成長できると思うから。少なくともあと20年は夫と共に子供のために頑張って働いて学生生活が安心して送れるようにしていかなければならない。その後の自分たちの老後の資金も子供に迷惑をかけなくても良いようにしなければと思う。
 
 この子に出会えたことは、自分にとって人生最大の喜びである。だから私はカーブスに通って自分の体力の維持向上、健康維持に努めていきたい。自分が頑張ることで子供だけでなく、不妊に悩む女性の励みにもなりたい。45歳の高齢で出産しても若いママと同じように(それ以上に?)頑張ろうと思えば頑張れる。そんな人もいるんだ。と思ってほしい。
 だからまずは自分の体を大切にして、体を鍛えて妊娠、出産、その後にとどまることを知らぬ子育てに突入してほしい。人生何とかなる。
 
 また余談であるが小さい子供を連れていると、自然と若く見えるようで「えっ30代でしょう?」などと言ってくれる人も増えて内心ほくそ笑んでいる。ますます頑張ろうと思える。これからも子供が学校に行っても「お前の母ちゃん年寄りだな。」何て言われないように若く溌溂とした母親でいられれように頑張りたい。
 だからこれからもカーブスに通う。子供の体力に負けないように、子供との日々を楽しく過ごしていけるように。私はそう思っている。