運動嫌いの私がなぜ8年もカーブスを続けているのか。
それは一言で言えば、「いつまでも自分の足で歩きたい」からです。
もともとスポーツには興味がなく、オリンピックがあってもテレビで見るのは開会式と体操かフィギュアスケートくらいという私。歩くのが大嫌いで、散歩もしてみましたが退屈で続きませんでした。
運動不足は感じていたものの何もしないでいた私が骨折をして、生まれて初めての救急車と入院を体験したのは77歳の時。最初の5週間は全くの寝たきり状態でした。
ようやくコルセットをして何とか動けるようになりましたが、3か月の入院で足の筋肉がすっかり落ちてしまい杖なしでは歩けませんでした。
入院中普通に歩けることがどんなに素晴らしいことかを痛感した私は一念発起、近くの老人向けの体操教室に通い始めましたが、みんなでいっせいにする運動は退屈で少しも楽しくありません。
丁度その頃カーブスのことを知り、見学もせずすぐに入会して1日おきに通い始めました。いちばん気に入ったのはいつでも好きな時に行けること。そして服装も履物も自由で、せっかちな性格の私にはぴったりの30秒毎の移動。
おしゃべりをすることもなければ退屈するひまもなく、いつも明るく対応してくださるコーチの皆さんのお陰もあって通うのがだんだん楽しみになりました。
そしてしばらく通ううち入院中に筋肉が固まったのか、肩のところまでしか上がらなかった左腕がいつの間にか上まで真っ直ぐ上がるようになっていることに気付きました。
それまでマッサージに通ったり、アメリカ仕込みと言うカイロプラクティックの先生の所へ電車で1時間かけて、しかも高額な料金を払って通っていたのにいっこうによくならないので諦めていた腕が元通りになったのです!
それがいちばん最初に感じた効果でした。
3年後80歳になった時、3か月で地球を一周するクルーズに出かけることになり、初めて長期にお休みすることになりました。
船内では元の運動嫌いに逆戻りして、毎朝のデッキでのラジオ体操に参加はしていましたがひとつも楽しくありません。そんなある日、船内で知り合った8歳年下の男性から思いもかけないプロポーズをされ、びっくり仰天しました。
時たま話をしたり一緒に麻雀を楽しむだけの人でしたが、信頼できる人柄と分かっていましたし、お互いにバツイチ同士で性格も似通っているので2日後にOKしました。と言ってもいつ何があって不思議ではない年齢なので相続の面倒を避けるため別姓婚ですが。
40代で離婚した後長い間自由気ままな一人暮らしを楽しんだ後なので、人生の最後をだれかと暮らすのも悪くないかな?くらいの軽い気持ちだったのですが、料理を作る張り合いも出来て結局はよかったと思っています。会話をしたりケンカができる相手がいるというのも刺激があってなかなか良いものです。
それで当時住んでいた東京からはるばる彼の住む九州まで引っ越しをしました。
引っ越し屋さんが「子どもさんの所へ行かれるのですか?」と言うので、「はい、そうです」と答えておきました。
九州でもちろんカーブスは続けるつもりですぐに探しました。カーブスはどこにもあるので便利です。
最初の北九州では徒歩20分ほどの所にありましたから運動を兼ねて往復歩いて通っていましたが、その後夫が田舎暮らしをしたいと引っ越した現在の場所は車でなければ通えない距離なので自分用の軽自動車を買い、片道20分のドライブを楽しみながら通っています。今ではすっかり日常の習慣となっているので全く苦になりません。若いコーチたちの励ましや明るい笑顔にも力をいただき感謝の思いでいっぱいです。
毎月の計測もありがたいです。九州へ来てから6年になるので先日ゴールドカードをいただきました。もともとそれほど太っている方ではないのでサイズ的には劇的な変化はありませんが、体脂肪率は確実に減っていますし骨格率は増えています。
以前はけなかったスカートがはけるようになりましたし体年齢は10歳若い77歳です。
血管年齢は何と61歳でした。体力は年下の主人よりずっとあると思います。
庭が広く畑もあるので、以前楽しんでいた畑仕事も7年ぶりにまた始めました。
途中休憩をはさんで一日戸外で4,5時間くらい働くこともありますが、あまり疲れることもありません。
先日は近所の若い方たちの仲間入りをして12キロの手作り味噌を仕込みましたが、私がいちばん早く仕上がり、その後に筋肉痛もなければ腰痛もありません。これも日頃の筋トレのお陰と思っています。
現在87歳。今通っている所では最高齢だそうですが、どのマシンも使えますし、病気もせず、足も腰も痛い所はなく、毎日の家事も元気にこなしております。
時たま東京へも行きますが、同年の友達はみな病気になったり、認知症になって施設に入ったり、足や腰が痛いから出かけられないと言って会うことがかないません。
カーブスに行っていてよかった。それが今の偽らざる思いです。