昨年は六十九才。本当に大変な年だった。コロナ禍とは全く関係ない、私にとって大変な年。つくづく体力のなさを感じてはいたが(そのためにカーブスに通うことにしたのだが)、昨年一月腰痛がひどくなり整形外科に行く。痛み止めと湿布薬では全く効かず、ブロック注射をするが、効果は一日だけ。神経痛の薬を処方されるが飲むと朝が起きられなくなった。結局大きな病院でMRIを撮り、診断が脊柱管狭窄症となる。手術をしても完全には治るものではなく、しびれとかが残ると言われた。仕方がないので鍼灸接骨院に通うことにする。二月はほぼ毎日、三月は週一日だけ休んで、四月は二日おきに通う。一般的な鍼に電気を通すものと、二、三種類の電気を通すような治療。この院は保険がきかない。五月まで通って約二十万円かかった。これ以上は体も悲鳴をあげるし、財布も悲鳴をあげている。ので四ヶ月で終えた。
六月からは鍼灸師に月二~三回程、本当の鍼と灸をしてもらった。ところが十月の末にまた腰に激痛、そして足痛。これは以前の痛みと違った。動けなくなった。あかんと思いまた整形外科に行く。腰に注射。ブロック注射でなく、痛み止めの様だった。レントゲンのあと、リハビリの部屋へ行きなさいといわれ、そこへ。病院の一角に広いリハビリ室がある。理学療法士さんに治療をしてもらう。そしてこんな体操をしなさいと指導を受け、週一~二回通うことになった。十一月から今年三月まで。
昨年一月に始まり、今年三月まで。自分でもその間、身体が動かなくなりつつあるのが感じられた。何をするのもおっくうだし、テキパキできなくなったし、痛みは全身を走るし、本当に老いというものを身体で感じた一年だった。七十才を迎えるための助走であったのかと。
その間カーブスもよく休会した。行きたいという気持ちがあっても身体が動かない。動かせないから休む。休んで薬を飲んで寝るという生活で体重も増える。悪循環だった。少しずつでも動かそうと思い、少し楽になったら行った。少し休めばこんなにも筋力が落ちるのかと実感する。あげる力がなくなった。握れない。速く動かせない。なんでもなかったことができなくなっていた。自分をなさけなく思うと同時に、いや頑張ろう、私よりも年の上の人も、事故でリハビリしに来ている人もいる。もっと悪くなるより、なんとか維持しようと頑張っている人がたくさんいる。周りをみればあたたかく声をかけてくれる人がいる。同年代の人達は皆、元気だ。私も頑張らねばと、カーブスに行けばはげまされる。
人という字の通り、支えあっているのだと思う。私も元気になれば、人に声かけできると思い、また頑張れる気がする。
佳作
「カーブスを続ける理由 七十の坂」
カーブスって
どんな運動?
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