人生百年の時代に入り私の人生もあと僅かになりました。大阪市内で昭和11年1月産声をあげ、父は昭和13年10月、日中戦争で戦死。その後、弟が昭和14年1月病死。母は辛かった事だったと思います。その後、母の実家に近い倉敷で母、姉、私と暮すようになり、戦中戦後の苦労は大変だったでしょう。子供だった私は楽しく過ごし、26才で結婚、大阪へ。その後マイホームを奈良で得て、奈良盆地の中心あたり大和三山を望み静かで、ヤンチャな3人の男の子ものびのびと育てていましたが、夫が私には内緒で多額の借金があり、家も手放すほどに。その頃から私の胃の調子も悪く、とうとう胃全摘となり、商船高専の長男、大学生の次男は家を離れていましたが、三男は母親が胃ガンと聞いたからでしょうか、全身にジンマシンが出て、病院でも原因が分からず10日間入院。三男退院の翌日、私が入院しました。入院中はお向かいの方が三男の食事を用意して下さったり大変お世話になり、主人は何もしてくれず毎日帰宅は遅く、その頃離婚を考え、退院後三男と二人暮しとなりました。その後息子達は千葉、東京、三重県の津で頑張っています。三人共優しく親として充分な事は出来なかったですが、これからは息子達に迷惑をかけないようにしたいです。
カーブスで皆さんと笑顔いっぱい楽しく身体を動かし、若い頃の苦労も忘れ、皆さんに楽しかった人生をありがとうと手を振りながら、あの世に出発したいです。
我が人生
苦労ばかりは
辛いです
冥土の土産は
楽しくカーブスで
スタッフの
優しき声に
励まされ
八十路の身体
今日もカーブスへ
終わり良ければ全て良し。
カーブスと出会い、辛い事が多かったですが、人生の終りですので、良い人生だと言えます。