2020年春、コロナ禍の活動自粛要請により、外出は極力控えていた。
塞ぎ気味になる気持ちを持て余し、宅トレなるものをやってみようと、ユーチューブ検索していたら、「カーブス公式チャンネル おうちでできる!ストレッチ」が目に入った。
画面に大きく現れた「➀ストレッチ」の文字と、にこやかなトレーナー。そして、「右足を一歩前へ出し、膝を軽く曲げて、5、6、7」とよどみなく声が流れる。
 7年前まで日課のように通っていたカーブスのストレッチを、55歳の私の身体はしっかりと覚えていたのだ。とても嬉しかった。
数日間、このストレッチ動画を自宅で行い、「これだ!もう一度カーブスへ入ろう」と、すぐに以前通っていた店舗へ電話して、その週のうちに、またカーブスへ通い始めたのだ。
 感染予防対策の除菌スプレー、換気の窓開け、密を避ける工夫もされ、安心して通うことができた。さすが、カーブスだと思った。
長引くコロナ禍の中、再入会して一年近く経った今、改めて通える場所があること、温かく迎え入れてくれるスタッフがいることに、とても感謝している。
 そもそも私が最初にカーブスと出会ったのは、十年以上前、入院中に出会った友人の紹介がきっかけだ。
40歳を目前に、私は先天性臼蓋形成不全による右股関節の骨切り手術のため、自宅から遠い病院で、2カ月半にわたる入院をしたのだ。
同年代のHさんとは、同じ手術をした入院仲間で、すぐに意気投合し、毎日励まし合い、泣いたり、笑ったり、まさに戦友であった。
どこまで治るのか、痛みはなくなるのか、不安は消えなかったが、退院後も辛いリハビリ生活の苦労話をはじめ、いろんなことを相談できる親友になった。
 そのHさんが、リハビリ通院のほかに、自宅近くのカーブスへ通って調子良いという。「上半身はしっかり筋トレして、下半身は自分のペースに合わせて、マシンを利用しているよ」と勧めてくれる。
当時の私は、リハビリ通院の他は、プールでの歩行が精一杯だった。しかし、毎日のように出かけている彼女がうらやましくて、私の自宅に近い店舗での体験レッスンを紹介してもらったのだ。
体験レッスン後、すぐに正式入会し、初めてプロテインを飲んだり、今度は私が新しく友人をカーブスへ紹介したりと、楽しい世界はどんどん広がった。
杖歩行に頼っていた私が、主治医も驚くほど、歩けるようになり、小さな効果の積み重ねや、スタッフの声掛けは、どんどん自信になった。
 数年後、カーブスプリンセスに選ばれて、ティアラの柄のついたピンクのTシャツをいただいたのは、何よりのごほうびになった。
しかし予想はしていたものの、50歳目前に、次は反対の左の股関節の痛みが増して、やはり骨切り手術をすることになったのだ。
何とか左股関節は手術せずに、乗り切りたい、手術は嫌だと内心思っていたが、定期的に診察をしてくれた主治医が、「左股関節の軟骨も、しっかりあるから、今のうちに手術して、筋トレすれば大丈夫。右も成功してるでしょ」と背中を押してくれた。
以前、手術した右脚は調子良いし、カーブスへ通って復活できたし、また頑張るチャンスだと思えばよいと決断できたのだ。
手術前に主治医にいただいた著書の本と、「美しく歩けますように」のメッセージの画像は、ずっとスマホに入れて、お守りにしている。
 しかし、残念なことに、2回目の手術後のリハビリと抜釘術の期間が思ったより、時間がかかり、やっと復活できた頃には、離れて暮らす実母の介護が始まったのだ。カーブスで筋トレ再開とはならなかった。
長年、一人暮らしをしていた実母は、数年前からパーキンソン病を発症していて、私が通院同行、買い物の手伝いなど、車で1時間かかる実家へ行くことが増え、平日昼間になかなか自分の時間をとる余裕はなかったのだ。
 ほどなくして、実母の急変、悪化により、特養への入所が決まった。あれよあれよという間のことだった。
実母は病気発症当時から、「エンディングノート」を記入しておいてくれたので、そこに施設入所希望などしっかり記入されており、諸雑務はすんなり進めることができた。
思うに、一人娘の私の股関節の度重なる手術をふまえ、きっと負担ないよう、覚悟して用意してくれたと思うと、感謝しかない。
実母が施設に慣れて、安心したのか、力が抜けたのか、この頃から私自身に、動悸、めまい、高血圧と、次々と居ても立っても居られない症状が現れたのだ。体重減少の次は増加とおびただしい。
 各検査をこなして、原因は「更年期症状でしょう」と落ち着いたのだった。知らず知らずストレスもかかっていたと思う。
なんとか漢方処方で様子をみている最中に、世界中でコロナ禍が始まったのだった。
冒頭のカーブス公式チャンネル「おうちでできる!ストレッチ」からの再入会に繋がるのだ。
現在、月に13回のカーブス行きを目標にして、ストレッチは自宅で毎日行う日々である。おかげさまで、股関節も大丈夫だ。あんなに辛かった更年期症状もほとんど出現していない。
 常に心配の種である母のことも、「私が元気でいれば、実母も喜んでくれる」と、前向きに捉えられるようになった。
私の2回の手術と、実母の闘病と入所、そしてコロナ禍と、大変な40~50代を過ごしてきたが、いつもピンチにカーブスが明るい道を切り開いてくれたような気がする。
再入会した今、慣れ親しんだ場所で、かつて頑張っていた頃の自分の気持ちを再燃することもでき、心と身体のバランスを保てることが実現できている。
これが、私がカーブスを続ける理由である。