私は4年程前、24時間分の記憶を失いました。自宅の階段から落ちたのだそうです。
記憶はないのに会話は成り立ったようで『足が悪いから階段から落ちた!』と救急隊員に話したことから、救急搬送された病院は、膝・腰・股関節の手術で有名な整形外科医がいる病院でした。
怪我をしたのは鎖骨だけでしたが、勢いと言うかタイミングと言うべきか、半年の間に両足の人工股関節置換の手術を受けました。先天性の股関節脱臼を、まだ物心がつかない頃に手術したものの、加齢とともに関節がすり減り悪化していたのです。
手術も無事に済み3ヶ月ほどのリハビリも終了して、日常生活には支障が無い程度になり、それなりに満足していました。しかし退院の時に渡された10ページほどの『人工股関節の手術を受けた患者様へ』と書かれた印刷物がとても気になっていました。中にはやってはいけない事、スクワットなどのやるべき事が書かれていました。そんな時に友達がカーブスへ誘ってくれたのでした。
友人が2度3度と誘ってくれて、やっと恐る恐るカーブスの体験に行ったのが一年半程前でした。恐る恐るの理由はただ一つで、自分の身体に自信が無かったからでした。マシンは使えるのか?他の人と体力の差が有り過ぎるのでは?普段はすこぶるポジティブ思考の私もこと身体に関してはどうしてもネガティブになってしまいます。それは両足の股関節が人工だから。
体験の時に「ともこさんはこのマシンはやらない方が良いですね!」コーチが言ったこのたった一言が私の不安を取り除いてくれました。『コーチは私の身体のことをわかってくれている。』と思ったからでした。この時点で私ができなかったマシンは一つ、できなかったストレッチも一つでしたが、気持ちだけでも頑張ろうと即日入会を決めました。
週に3回を目指し同じような時間に通い始めると、顔見知りも増え何気ない会話も楽しくて、コーチの絶妙な飴とムチの指導も私には心地良くてストレス無くカーブス通いを重ねています。
ここでコーチの飴とムチをちょっとだけご紹介しますね。年明けの計測時の会話です。
私 「年末年始は甘いお土産が多いから」
コーチ「ですよね?じゃ1キロ以内の増なら許します。」
私 「お料理だって捨てたらもったいないでしょ?」
コーチ「言い訳の引き出しがいっぱいあるんだから!」
私 「体重、気にはしてたんだけどね。」
コーチ「アッ!800g、セーフです。」
私 「やっぱり太ったんだ!」
コーチ「ともこさんすごい!体脂肪は減っていますよ。0.2」
私 「・・・・・0.2?」
コーチ「0.2ってすごいですよ。」
私 「だよね、良かった。」
還暦も過ぎると人に注意されることも無ければ、褒められることもありません。そんな時にカーブスで褒められたり、少しオーバーな言い方をすると叱咤激励されたりすることは、非日常的で私の身体だけではなく前頭葉もとても喜んでいるような気がします。
入会前と後でほぼ同じコースの沖縄旅行に行きました。
一度目は股関節の状態が最悪でしたが、年を取れば悪化するばかり、歩けるうちに出掛けようとの思いからツアーに参加しました。
首里城の急坂を上る時は、左手を夫に引いてもらい右手は横の石垣を伝わなければ登れない状態でした。美ら海水族館も駐車場から、それはそれは遥か彼方に建っているように思えたのです。ホテルにチェックインすると一歩も外出する体力が残っておらずに夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
二度目は首里城火災の半年前でした。今回は入口の急坂を夫の手を借りることなくスムーズ上り、首里城の警備員さんが勧めてくれた少し遠回りした展望台へも行く余裕もでき、水族館も館内だけではなく公園内を隅々まで歩くことができました。そればかりかチェックイン後に、那覇市内を散策して歩き回っているうちに道に迷ってしまうというハプニングまで経験できたのです。
今私は手術によって歩幅が二倍になり、カーブスの筋トレで足を運ぶスピードが二倍になり、数年前の四倍の速さで歩いている気分です。以前は車で行っていた、郵便局・銀行・スーパー・ファミレス・書店等々が徒歩圏内になったのです。手すりの無い階段の上り下り・急な上り坂の移動・砂利道を歩くことができるようになったのです。歩くことがとても楽しいですし、夫や友人と同じ歩調で歩けることが、まるで夢を見ているように嬉しいです。
この先に不安が無いわけではありませんが、コーチの飴と鞭、周りの会員さんのあたたかい言葉に励まされながら、当分は通い続けられそうです。挫けそうになった時にはどうぞ私に飴をください。自分に甘い私でごめんなさい。