昨今のコロナウィルス騒動が、閉鎖空間・人の集まる場所へ出向くことへの自粛を促し、ライブハウスやカラオケに行くこと同様、ジムへの参加にも冷やかな白い目を向けていることは、昨年11月より始めて間もないカーブスに楽しく足繁く通ってきた私には本当に悲しく、辛いことである。

幼少期から運動が苦手で、体育の成績がいつも底辺だった私は、他の教科では問題なく上位得点が望めたにもかかわらず、当時アチーブメントテストという内申点重視の特殊な受験カリキュラムを採用していた神奈川県の公立高校受験は断念せざるを得ないほど極度に運動能力が低く、大学時代気のおけない友人とテニスやボーリングを楽しむこともままならず、今は生涯の伴侶となった夫とですら、当時「遊びに来ているのに...暗い顔して...楽しまなきゃ!」と呆れられるほど、運動関連一切楽しめず、自分にはスポーツ全般無理...という固定観念、決めつけにガンジカラメになっていた。無理してスポーツをしなくても生活は楽しく、満たされていたこともあり、特に大人になってからは、体育の授業で強制的に運動することもないため、スポーツとは一切無縁の毎日だった。

子供たちが其々独り暮らしを始めて離れて暮らすようになり、一番苦しい教育地獄も何とか脱して経済的にも心情的にも穏やかで落ち着いた日々となり、今まで必死に続けてきたパートタイムの仕事も辞めて、家でテレビ三昧のぐうたら生活を始めて半年も経たないうち、体重が10kgも増加してしまい、ある日突如歩くどころか立つことさえ出来ない足の痛みに襲われた恐怖の体験から、流石に生活を見直さざるを得なかった。太り過ぎたせいで着られる服もなく、実家の母にゆったりサイズの古着を頼んだことがきっかけで、カーブスを薦められた。私同様かそれ以上に運動とは無縁、興味すら示していなかった母が3年以上、ほぼ毎日通っていると聞き、ひとまず1ヵ月体験を申し込むことにした。

健康維持のため、痩せる必要に迫られていたとはいえ、それでも恐る恐る、一大決心で体験依頼の電話をかけた私に、当時店長をなさっていたコーチの反応はとても優しく心地良いものだった。
そうは言っても体験当日の気分はまだ重かったが、元来真面目な性格ゆえ約束の時間に余裕を持って来店すると、お店の前に開店前の行列が出来ており、その行列の最後尾に何となく並ぶと見知らぬ方に「私が21人目だからギリギリ大丈夫」と声をかけられた。大丈夫の意味も解らず、空気に打ち解けないまま開店時間となり、行列に紛れて入店すると「今日は体験、お待ちしていました」と声をかけられた。まだお会いしたことのないあの電話の主、店長さんだった。「これだけ沢山の中から何故私が体験申し込み者と判ったのですか⁇」と伺うと「いつもいらしている方は判るので...」という回答だった。その時は意味が解らなかったが、通い始めてすぐその謎は解けた。来店&退店時の声かけ、サーキット内での指導や心拍数報告の際の呼びかけ、全てが苗字でなくfirst nameなのも親しみがあり、嬉しいものだ。ここまでスポーツ苦手意識話題にばかり触れてきた私は、そもそも社交的ではなく、人との交流・お付き合いというものも不得手な引っ込み思案な性格、集団の片隅にいつも1人なるべく目立たないようにひっそり暮らすのが心地良かった人生のはずなのに、わずか4ヵ月足らず通ううちに、すっかり常連のような、しかも中心人物のような存在感を与えて頂いている気がする。スポーツがとにかく苦手、人前も苦手、存在感の無い地味な性格だったはずの私が、今では「地味⁇⁇」とコーチに笑われるまでになった。決して大袈裟に言うのではなく、40年以上変わらなかった私の人生を変え、明るく元気な性格を日に日に感じさせてくれる、そんな魔法のような魅力が、カーブスにはある。

今となっては、「痩せる」とか「健康維持」等の目標は、私にとって全く重要でなくなった。毎日のように顔を出して、コーチとお喋りして、質問すれば些細なことにも親身に回答して頂き、隅の方でコソコソ荷物を詰めていれば、「見てましたよ⁈」と笑われて赤面する...そんなかけがえのないカーブスでの日常が、目標や目的なんてどうでも良い、私の宝となった。

毎日、行ける限り足を運んでいた私の憩いの場に、今コロナ事情で世間の白い目を避けて通えなくなっている。一日も早い終息を切望する毎日だ。