私は、22歳の時に統合失調症という病気になりました。
薬は一生飲み続ける、完治することはないという病気です。
顔色は、そう白、表情は、うつろ、→生きたしかばねでした。
それでも人間としてのプラスへ向上するということ。それから20年、ひたすら、怠けなさいという医者からの忠告に、高校時代によく聴いたチューブや今や解散したスマップのCDを聴いて一日を過ごしました。そしてリハビリ。心のリハビリ。同じ病気仲間と作業療法。それから人のお世話ができるようになりアルバイトで、清掃をしましたが、続かず。病気前、水泳コーチをしていたプライドがぬぐいすてられず、病気後も引きこもる日々。
それでも、私は、病友と正直に一生懸命つきあってきました。
縁があり42歳で結婚。いわば自立。今まで親の後ろを歩き、すがって生きてきた私には、とても苦しい毎日でした。知らない土地で、また専業主婦でいいというとても幸せな境遇にあったにもかかわらず、遊びに慣れているわけでもなく、また引きこもり、体重は増え、気持ちは、もっと最悪に。人に慣れていないのに、身体を動かすことは好きだったので、ジムへ通うことは、結婚してから決めてました。やることが決まっていて、筋トレがいいということでカーブスへ。が、人間関係はいつも気にしてました。でも私は淡々としてました。でも心の底にさみしさ孤独感は感じていました。結婚という階段を登って、成長した私がここにいる。やせた身体を、プレゼントにしてくれて。
20歳前に水泳コーチの仕事に飛びこむときも、神経質な私は、とても勇気がいりました。結論、その道に一歩勇気をもってふみこめば、道はひらけるということ。今の私には、それが欠けていることに気づきました。
私は、病気をする前から、真面目な努力家だったので、人間関係にも、リラックスできず、慢性的に不安をかかえています。
この気持ちと仲良くしながらうまくつきあっていきたいです。でも根は明るいです。子供が好きです。薬を飲んでるので子供は望めません。そんな私でも、これまでびくびくしながらそっと首を出しては、引っこめて亀のように生きてきた。そんな自分が愛しくて仕方がありません。これからのカーブスでは、もっと自分に自信をもって、強くなりたい。マシンの重さに、ひと押し、ひとけり、最大の力を入れて悔しさをバネに、でも、自分にもっと優しく。
人に温かく接することができる人というのは、今の自分に感謝して、自分に満足している人のことをいうんでしょうね。今日も私は、未知の自分に期待しながら、また不安をかかえながら、でもワクワクしてカーブスへ出かけます。
佳作
「病気と向きあいながら」
カーブスって
どんな運動?