女性3人で新横浜に集合。一泊で伊豆旅行。ワイワイ駅に着いた3人。姉に友人がお話していてろれつが回らないから頭に何か出来ているかも、旅行に行かず戻って病院に行きなさいと友人。
姉も中止して近くの病院に行きMRIを取ったら頭に3.5cmの腫瘍が出来ていてすぐ大学病院を紹介してくれて神奈川でも有名なK病院を紹介してくれました。
大学病院の検査の結果はもう腫瘍が5cmになっていた。
2日後頭をそり手術を10時間かかり出来るだけとり(大きい所)金魚のヒレみたいな所は取れず神経が交っている所なので手をつける事が出来ないとの事。
あんなに大病なのにすごい回復力だと思います。
次の日には車イスで風呂にも入りシャンプーまで出来、すごく元気になり10日で退院。でも完全には取れてないから常時検査に来なさい。
1年後の検査で転移している事がわかり、又、K病院に入院する事になり車で病院に向ったのですが、もはや車から降りる事も出来ずだっこして降してもらい連絡を受け私も病院にかけつけたのですが以前の姉の姿ではなかった。
姉の娘と息子は母の云う通り延命治療は望まず自宅で介護する事を決めて、介護に必要なすべてが整わないとK病院でも退院させず、介護ベッド、福祉の移動風呂、在宅医療お医者様との連携と色々あり、1週間程退院が遅くなり、その間、姉の子供達は病院には来ず、又横浜から1時間ぐらいかかるので大変でした。私市内なので車で5分ぐらいだったので午前中はカーブスに通い体をきたえてから、午後は毎日意識遠くなっていく姉に会いに行きました。
たまには意識が有り「家に帰る」とか。私が「どこの家」と聞くと自分の家ではなく東北の実家の話しで「又おまえと二人でグミ取りに行ったね」、「そこに小さなこうもりがいたね」とか、「冬には畑をスキーでおりて来て凍っているカキをとって来てコタツでとかして食べたね」とか・・・。
意識朦朧としているのに自分の小学生の時が思い出されているんだなあ・・・・ 私もそのつど相づちを打って話を合わせて、「又今日カーブスに行って来たか?」とか、私の事も気づかい、私も「元気じゃないとここにこれないからカーブスは週3回ぐらい行っているよ」、と。
横浜と相模原、元気な時には1年に1回ぐらいしか会わず、この様な状況になって初めて、もっともっと会って食事したり、カラオケ、買い物、たくさんやりたい事あったね、今さら思います。
「親孝行したい時には親はいない」つくづく実感します。
「姉ちゃんどこか痛い」と聞くと「うんうんどこも痛くない」それが私のすくいでした。脳に出来ているから脳からの痛みの指令がないとか。
入院して10日間で自宅に戻るまで貴重な時間を過ごして・・・。
自宅に戻ってから一度見舞に行き、姉の手を取り「姉ちゃんもう頑張らなくて良いよ」と手をにぎっていたら私の手を離さず、病院の先生の話だと、
「意識はなくとも耳だけはしっかり聞こえているのよ」こちらの話を全部わかっているんだって。
姉の手を娘に交代してもらい帰って来ました。
その次の日の朝7時頃、子供達孫達に看とられ天国に旅立ちました。
今頃旦那さんの所で甘えてラブラブでいる事でしょう。おまえが来るのが早いとか遅いとかなんて言われているかな。姉の息子が「おばちゃん、おれ介護士になったのは母を見る為だったのかな」。
私と二つ違いの姉だったので早いし悔しいです。
好きな事たくさん有り。季節のポップ作り、コーチ達の異動時のお礼や歓迎のポップ作り、一年間の行事、そしてカラオケ発表会とかいっぱいやる事が有ります。
それが私の明日への活力の源です。
カーブスに行くたびコーチ達は元気づけてくれるし、チョットした仕草でも褒めてくれるし行くのが楽しみです。今後共宜しくお願致します。