"ケリ巣立つ五月の空に我は去る"
こんな辞世の句を残し、昨年夫であるKoちゃんは5月の大空へと旅立って行きました。幼少期にリウマチ熱を患い、それがもとで心臓弁膜症になり、私と出会った頃には心臓に人工弁を二つも入れた内部障害一級の障害者手帳を持つ人でした。
でも持前の負けん気と気丈さで、人前ではいっさいそんな素振りも見せませんでした。
近所にまだ少し残っている農耕地に毎年どこからやってくるのでしょうか、つがいのケリという野鳥が来て、必ず同じ場所で二個卵を産み子育てをしていました。巣立つ迄を見守りながらのKoちゃんとの愛犬散歩は日課の一つになっていました。
野性の掟の厳しさは本当に涙ぐましいものがあり、カラスからヒナ鳥を守りながらの逞しい子育てぶりは感心させられるものがあり、二人でよく話題にしていました。
なぜか野鳥に縁があり、前に住んでいた家では、"モズ"の子育てにつき合いました。
庭のつるバラの繁みに作った巣が天敵であるカラスに襲撃され、野性の恐さを垣間見た気がしました。この時ヒナ鳥が1羽カラスのクチバシにしっかりとくわえられていました。でもカラスにとってはこの1羽のヒナ鳥は、自分の子育ての為には必要な食糧なのですから。この後、残ったヒナ鳥達は次々と巣から地上に飛び降りてヨチヨチ歩き始めました。となりの空地の低木の繁みに待つ親鳥の所まで自力で歩いて行くのです。距離にしたら百メートルもない位ですが、ただひたすら、ヨチヨチ歩いて行くのです。天敵カラスと小さなヒナ鳥の攻防戦です。親鳥の指示通りにきちんと動き、たどり着けたヒナ鳥が野性の中で生き残っていける強者なのです。
人間社会でも病気にもかからず自分の寿命をきちんと全うできる人はどの位いるのでしょうか。
明治生まれの気丈で丈夫だった義母のH子ちゃんが認知証を発症したのはこの頃でした。Koちゃんも心不全の発作を起こし救急車で運ばれたり、愛犬もまだ元気でしたから朝夕の散歩もあり、私の周りが何となく慌ただしくなってきました。戸建ての家の管理は結構大変でした。
でも私はこの家でいろいろな楽しみを見つけていました。カルチャースクールでキルトを始めたり、愛犬のお散歩ではいろいろな木の実の採取やツルを取ってきてのリース作りと私の楽しみは大きくいろいろな方向に広がっていきました。
しかし自分をとりまく状況は刻々と変わってきていて、元気なうちに転居しておかないとできなくなってしまう。そんな思いから、ペットの飼える今のマンションへ引っ越す事にしたのです。
今から16年前、ここは市の区画整理が始まったところで周囲は雑草地と空地だらけでした。家から歩ける距離に歴史的にもよく知られている"平成宮跡"があったりと、愛犬の散歩にはとても良い所です。が、堀れば遺跡が出てくるので、開発にはかなり手間取っている様に思います。
こちらに転居して二年目に義母のH子ちゃんは97才で天寿を全うしました。ローソクの灯が消え入る様に静かに人生を終えました。
泣き笑いの沢山のエピソードは私の宝物です。"何くそ!!こんな事に負けてたまるか"と言うH子ちゃんの座右の銘は今私の中でしっかり引き次がれていますよ。
最後にかすかに残っている力で私の手を握り返してくれたのは、ありがとうって言ってくれたのでしょうか。
そしてKoちゃんも64才の時に心臓に3つ目の三尖弁の置換手術をしました。10時間半に及ぶ大手術の後執刀医から"手術は成功ですが過去2回の大手術の結果、癒着もかなりひどく"突然死"を覚悟しておいてくださいと、ハッキリ言われました。
この時に愛犬のごん太左ェ門がまるで身代わりの様に亡くなりました。でも私には泣いているヒマはありませんでした。Koちゃんの看病がまっていましたから。
定かではないのですが、この頃からでしょうか、カーブスのチラシがメールボックスに入る様になったのは。
でも私にはスポーツジムへ行こうという気持は全く無く、行かなくても充分元気だから、と勝手に思い込んでいました。若い頃は登山スキー、と体を動かす事が大好きでした。 わざわざジムに行ってまで体を動かす必要はない、というのが持論でしたから。
Koちゃんは高校の教師でしたから、春、夏、冬と長期休暇には二人でいつも旅行していました。Koちゃんの体調と相談しながら、これが最後かも、っていつも思いながら。Koちゃんがいなくなった後の私の気持の切り替えは早かった様に思います。
それは入退院をくり返していたKoちゃんといろいろな話がしっかりでき、お互いの気持ちを伝え合う事ができていたから。
亡くなる直前に、Koちゃんから"本当に今迄いろいろありがとう。お前には感謝しかない これからは好きな様に自由に生きて行けば良いから"とハッキリお礼の言葉を言って貰えました。私も心から感謝の言葉を伝える事ができました。
いつも私の近くに居るよね。
そんな私がカーブスのYコーチと出会ったのはスーパーの外で握力測定をすすめられたのがきっかけでした。体力には自信があったので遊び半分だったのですが、見学を勧められた時、いつもの探究心がわいてきました。
見るだけのつもりで次の日早速行ってみました。その時の体力測定で"年相応です"と言われガーンときました。今迄自分が思っていたのとは違う"現実"をつきつけられ愕然としました。粉れもない老人の体になっていたのです。そしてカーブスで"筋トレ"の重要さと"たんぱく質の取り方をしっかり教えていただきました。今迄の中途半端な知識ではなく、これだ、と思いました。
今迄の生活をふり返ってみれば、何とカロリーオーバの日がとても多かったという事がすぐわかりました。
カーブスにある食品量の見本とたんぱく質の点数はとてもわかりやすく、一目瞭然ですね。昨年11月から通い始めて5ヵ月目に入ったところですが、毎月の計測でもわずかづつですが効果が見えてきています。マシンもきちんと使えていれば、確実に効果が出るという事も感じています。
外見は大した変化がある様には見えないのですが、確実に締まってきている体に自分自身が一番ビックリです。
これから年令的にも、何もしなかったら衰えていく一方の体としっかり向き合い、異和感のない体作りと、颯爽と歩いている自分作りがとても楽しみです。
格好良かったKoちゃんといつも一緒に歩いているつもりで。
10年後、ハテサテ私はどの様な変貌をとげているのでしょう。
カーブスファミリーの皆様、今はまだ5ヶ月足らずの新参者ですが、これからもどうぞ末長いおつき合いの程、宜しくお願い申し上げます。
佳作
「カーブスを通して変わった私の毎日,ありがとう」
カーブスって
どんな運動?