忘れもしない、あれは三年前の十月のことでした。私は夫のケータイに連絡を取ろうとしていました。娘の教員採用試験の合格発表があり、私は夫に早く合格したことを連絡したかったのです。ところがいつもすぐ電話に出てくれるのに、なかなか繋がりません。やっとかかってきた電話は病院からでした。娘のことが心配で、うわの空で仕事をしていた夫はコンクリートの車止めに躓いて転んでしまい、右足の膝蓋骨を骨折したのでした。ともに娘の合格を喜び合おうと思っていたのですが、いわゆる「膝のお皿」と呼ばれるものがまっぷたつで、それどころではないことになったのです。
その日から利き足の骨折をして運転できない夫を病院に運ぶため、私がドライバーをつとめることになりました。それから数日後、病院帰りに寄ったラーメン屋の帰り際に、今度は私が出入り口の段差に躓いて転びました。段差があることに気づいていたのに、財布をカバンに入れることに気を取られて、激痛が走った時にはもう手遅れでした。すぐにパンパンに腫れあがってきて、慌てて整形外科に行くとこちらのほうも骨折の診断が下ってしまいました。皮肉にも夫は右足で私は左足でしたが、夫婦二人そろって、ほぼ同時に骨折したのです。目の前が、真っ暗になりました。以前に大阪天王寺駅の階段で転んでねん挫したのとまったく同じ左足首外側で、今度はねん挫では済まなかったのです。ギブス姿で家に帰った私は、娘の就職を喜ぶ余裕もなく、途方にくれました。ちょうど、実父が亡くなったばかりだったのに、帰省もままならなくなり、法事を欠席。年末の大掃除を娘に任せ、お正月もじっとしたまますごすことに。同居の姑は八十を過ぎてからは認知症の症状が出ていて、デイサービスの回数を増やしました。
それにしても、なんでこんなによく転ぶのだろうと思いました。でも実は私は、どんくさい人間なのでした。
小学生の頃、私は逆上がりができませんでした。水泳もカナヅチで、体育の成績はいつも「2」でした。
中学に入ると、見かけの良さだけにひかれてテニス部へ入部。アニメが流行し始めていた頃でもありました。「スポ根ドラマ」(もう死語かもしれませんが)が好きだったのです。当然、万年補欠でした。
そんなわけで、スポーツに興味がないだけでなく、まったくコンプレックスのようなものになってしまいました。オリンピック中継も見ませんでした。
二十五歳の時に結婚して二人の娘にめぐまれ、まず考えたのは自分のような格好の悪い運動音痴にだけはしたくないということでした。子供ができると人は「自分の後を継がせたいか」「自分のできなかったことをさせたいか」だと思いますが、私は後者でした。三歳でスイミングスクールと体操教室に通わせ、逆上がりも水泳もできる子供にしました。そして思ったのは、私も幼い頃にちゃんとトレーニングすれば、逆上がりも水泳もできていたのではないか、その環境がなかったからではないかということでした。
とはいえ、その後も運動とは縁のない人生を送っていました。そんな私でしたが、骨折後安静にしすぎたせいか左足が固まってしまい、なかなか元に戻りませんでした。整形外科の先生には「安静のし過ぎだから、リハビリをしないとダメですよ」とあきれられてしまいました。私は左足なので、オートマチック車なら運転ができるから、どこへ行くのにも車を使っていたのです。春の訪れとともに焦った私は、近所のスポーツセンターへ通うことにしました。ところが娘に「車で行ってリハビリするってなんかおかしい」と言われてしまいました。「歩いて行ける距離じゃないでしょう」と返した私です。家の近所を歩いてリハビリすればいいのでしょうが、実のところ歩けば歩いたで左足をかばう癖がついているらしく、今度は右足の膝を痛めてしまっていたのです。
そんな八方塞がりの私に、救世主があらわれました。いつも買い物に行くスーパーの二階にカーブスができたのです。まったくほぼ運動経験がないだけでなく、骨折で人並み以下の運動能力になっていた私にできるかとても不安でしたが、思い切って体験に行きました。
時間が短いので、思ったよりも楽でした。ストレッチで足のリハビリにもなるような気がしました。そんなわけで、今も続けて通っています。
仕事をしていない私にとって、カーブスでのいろいろな出会いは刺激になります。娘の学校卒業以来疎遠になっていたママ友とも久しぶりに再会しました。
通いだしてすぐに、姑が亡くなりました。姑も年齢のわりには元気で、もしもう十年早くカーブスができていたらもっと長生きできたかもしれません。元気な時は、スーパーにいつも歩いて通っていたほどだったからです。
私もいずれ姑の年齢に近づいていきます。このまま運動を続けて、なんとか姑以上に長生きをしたいものです。そういえばカーブスに通い始めたころ、スーパーのフロアを歩いていて、曲がろうと向きを変えた途端に何も段差がないのに躓くことがありました。足がちゃんと上がっていなかったようです。これが、実は骨折につながっていた重大な問題だったのかもしれません。今では、躓くこともなく歩けています。仕事を辞めてから、車中心の生活でそうとうに筋力が落ちていたのだと思います。
カーブスが定休日である日曜日も、家でストレッチをします。ストレッチだけでも効果があるとインストラクターの方が教えてくれたからです。今では、ストレッチは完全にやり方を覚えていて、無意識にでもできます。足首だけでなく、体も柔軟になった気がします。
佳作
「夫婦そろって骨折して」
カーブスって
どんな運動?