佳作
「カーブスを続ける理由 ~カーブスに助けられた私の一年~」
カーブスに通い始めて約七年になります。本当にあっという間でした。もうそんなにも月日が経ったのか...いつもそう思います。仕事と家事の合い間に通っていて、生活の一部になっていたカーブスです。この約七年間に、様々な事がありました。仕事があまりにも忙しくて辞めようか悩んだ事、私が病気になった事、父の認知症の進行、母のリュウマチの進行などです。でも、筋トレをして成果が出た事、スタッフの方々の優しさ、気にかけてくれたメンバーの方々のおかげで続けられました。私のエッセイを読んだ熊本のメンバーの方から温いお手紙を頂いた事もあり感動した事もありました。
昨年のエッセイにも書きましたが、辞めようかと告げに行った日、トレーナーのIさんの声が聞こえました。全国を飛び回っているIさんが偶然いたのです。元気の良い声を聞いたとたん、私の悩み・迷いがすっと消えたのを今も覚えています。私の仕事の忙しさ、本当は今日辞めることを話そうと思っていた事を聴いてもらいました。それからこの一年また続けられたことに感謝しています。
しかし、何で次から次へと困難が続くのか、と思うほど怒濤の一年でした。五月にパワハラにあい十五年勤めた会社を辞めました。七月には新天地で働き始めました。転職し勤務時間が以前より変則になり、夜八時・九時...と遅くなることも多くなりました。どうしたらカーブスを続けられるか悩みました。生活のために働かなくてはいけないし、体のために健康のために筋トレは続けたい...悩んだ末、二時間の昼休み中に通うことにし、仕事のやりくりをして頑張ることにしました。幸いな事に、職場もカーブスも家も近い距離でした。
十二時に職場を出てカーブスへ行き、十三時過ぎに一度帰宅し洗濯物を取り込んで、職場に戻り十四時から夜まで仕事でした。そんな毎日でしたが充実していました。正直、あわただしい毎日でしたが、筋トレをすると心も体もリセットでき、何よりカーブスが大好きだから続けられたと思っています。
仕事は、自動車学校の合宿所の寮長でした。県外から免許を取りに来た学生さんと接し、やりがいのある職業でした。体の動く限り続けていける天職とさえ思えるほどでした。しかし、裏切りや人間関係で体調を崩してしまいました。過呼吸になり声が出なくなりました。眠ることができなくなり、食欲もなくなりました。涙も止まらなくなり、いつもマスクをして少しでも泣いた顔がわからないよう隠していました。職場に行くのも怖く、笑顔で仕事することができなくなりました。私は人が大好きで、すぐ人を信じて疑わないところがあります。今までも辛い事があってもカーブスへ行き、気持ちをリセットして帰宅することができていましたが今回は無理でした。筋トレをしていても涙があふれそうで、声をかけられても返すことができませんでした。人が怖くなり、友達に相談することさえできなくなりました。そんな私を見て、次男は、「おっかー、辞めて良いよ。俺も高校卒業して働いているし、親の務めは取り敢えず終わったんだから。」と言いました。また、「仕事を辞めるのは逃げじゃないよ。逃げて良いんだよ。」とも言ってくれました。その言葉に救われました。このまま働いていたら倒れて、いや死んでしまうかもしれないと思いました。十二月には初孫も生まれるし、元気にならないといけない...色々悩みましたが退職しました。
退職はしたものの、体調はなかなか良くなりませんでした。外に出るのも怖く、何に対しても意欲が湧かず、不安で自然と涙が出てしまう毎日でした。運転中も息苦しくなったり、人混みが怖くカーブスでも同様でした。病院へ通い治療も始めました。外出しない私に子供達は毎日でもカーブスへ行くように勧めました。家にいると「今日は行かないの?」と言われるくらいです。筋トレをしていてもボーッとして笑うこともできず、「薫さん、こんにちは。」とトレーナーの方々に声をかけられても声を出して返すことができませんでした。仕事を辞めた私にはカーブスへ行くしかありませんでした。空いている時間に行き、体を鍛えるためでなく、まずは外に出るためのリハビリと考えるようにしました。ほとんど食べれない状態だったので筋トレをしても筋肉はつきません。でも、とにかく行く曜日を決めました。そして、カーブスの後は買物をして家に帰るというリズムを作りました。
そんな私を、トレーナーのLさん、Mさん、MAさん、Aさんは、いつもそっと見守ってくれました。励ましてくれました。また、メンバーのM.Aさんがペットボトルホルダーを手作りでプレゼントしてくれました。カーブスでお友達になった方です。その場ですぐ使いました。今、そのペットボトルホルダーはカーブスでのお守りです。また、元気のない私を心配してM.Nさんが声をかけてくれました。仕事をしていた時は夕方に時々一緒になったぐらいで深く話をしたことはありませんでした。「みんな同じ大丈夫だよ。」とほんのその一言が私の心に優しく染みました。そんな優しさに何度も涙しました。元気のない私がカーブスに行っても迷惑をかけてしまうかな...と思ってしまったこともありました。でも、ちょっぴりその優しさに甘えて通いました。
今では、少しずつ食べれるようになりました。"美味しい"と思えるようにもなりました。少しずつ笑うこともできるようになりました。お薬の力を借りて眠ることもできるようになりました。まだ、フラッシュバックして不安になることもあります。夢を見てしまうことも多々あります。体調が思わしくない時もあります。涙が出る時もあります。でも、カーブスという居場所があったから、少しずつ心も体も良い方に向っていると感じています。筋トレ以外ほとんど動かなくなった私ですが、毎月の計測で現状維持できていることも驚きと励みになっています。あの時、辞めなくて本当に良かったです。辞めていたら、この困難から抜け出すことはきっとできなかったと思います。前を向くことはできなかったはずです。
何気なく目にしていましたが、カーブスの壁には『筋トレするのは自分のため、大切な家族のため』と貼ってあります。本当にその通りです。長男に女の子が十二月に生まれ、私もおばあちゃんになりました。健康寿命まであと約二十五年は元気で頑張りたいと強く思うようになりました。孫の子守りを初めてした時、腕が少々痛くなりましたが、すぐ治りました。これも筋トレのおかげです。
私は"ひとり"じゃない、大切な人のために元気で、心から笑えるようになれるよう、以前の自分に戻れるように焦らず前を向いていきたいと思います。
ありがとうカーブス
そして、これからもよろしく
※今年一月に父が八十才で亡くなりました。長年パーキンソン、レビー小体型認知症で寝たきりでした。いつか男性のカーブスもできれば、と願います。
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