6年前に腰脊柱管狭窄症と診断され、一カ月一回外科に通い一日三回食後の薬、電気。痛みの強い時は注射をしながら様子を見ていましたが、いよいよ歩行困難になり、二年前手術を受けました。術後の経過はとても良く順調にリハビリを受け3週間ほどで退院となり、元気な頃の生活に戻れる・歩けると思っていましたが、退院早々長年一緒に暮していた母が亡くなり精神的ショックで、何かしようにも考えがまとまらない状態になり、息子夫婦に心配ばかりかけていました。手術は成功にも関わらず2カ月過ぎころから歩行が大変。立ち上り座りが大変。足を一歩踏みだす動作がむずかしくなり体に力が入らず特にお腹に力が入らず立ち上って腰をのばし一歩一歩と歩いていました。腰に湿布やガードル巻いての日常生活でした。寝たきりの生活になるのではと不安との戦いでした。外を歩く時は杖なしでは歩けなくなっており歩くのに立ち止り。腰をのばしのばし歩いていました。
ある日道を歩いていたらガラスに写る自分の大きく曲った姿にびっくりほんとうに嫌でした。これからどうなるのか、何をどうすれば良いのか心も体も迷路つづき晴れる日がありませんでした。とにかく何かをしなければと思っている時に市の広報を見て今年75歳になった人が受けられる人間ドックの事が乗っており、自分の身体の事を少しでも知る事ができたらの思いで受けました。結果大腸に小さなポリープ5コと眼科は緑内症になっていましたが目の方は目薬対応、ポリープは来年また検査受けるよう言われ、後はこれと言って特に悪い所はありませんでした。ドックに関係なく体調は悪くなるばかり何とか元気になりたい人の手を借りず暮したい。自分の足で歩く生活に戻りたいこの一心で地域包括支援センターへ電話相談し今の状況を話し介護予防支援の方に自宅まできて頂き私の立つ、座る、歩くの動作を見て頂いて介護予防サービスを使って、カーブスを紹介され、これで一歩前進ワラをも掴む思いでしたのでほんとに嬉しかったです。
今日からカーブスみたけのドアを開け入るや否や大きな声での挨拶にビックリでした。これがカーブスの顔かなと思いました。初めての緊張感もなくコーチに励まされながらマシンの正しい使い方・ステップボードの有酸素運動の必要性、仕上げストレッチ等ほんとうに手とり足とりの指導のおかげで元の元気な身体にもどる自信がつき毎週一回の運動がとても楽しいものでした。この三カ月間地域包括支援の方、カーブス盛岡みたけとの出会い、私の生涯において大変貴重な時期でもありました。
昨年の十一月から交通の事情でカーブス盛岡みたけからカーブス盛岡ななっくへと変わり、六カ月になろうとしています。バスで通う事になりバス停まで歩いて8分大股で歩き、前の人を追いこす勢いで歩き、バスの中での40分間お腹に力を入れ背筋をピンと伸ばし筋肉筋肉と意識しながら座っています。背筋をピンと伸ばす事が楽になっています。この頃から身体に変化がみられ筋トレ中に汗をかくようになり、時期的に寒さに向っているのにまた例年になくドカ雪だったり寒さが厳しかったりなのに寒さをあまり感じない体になっていました。例年ならいつも冬の間、電気・布カイロを使っていましたが今年は全然使わなくて済み驚きでした。嬉しくなりコーチに話した所、筋肉がついてきましたね。自分の事のように喜んでくれ、改めて筋トレの大切さを知り頑張れる事が楽しいです。カーブスにくる前は、腰は曲る歩くのもままにならなかったのに、今では杖いりません。また50メートルぐらい走れるようにまでなり、コーチにも姿勢が良くなったといわれ相乗効果でしょうか、この短期間でずいぶん良くなってきています。
二月に毎月一回の診察外科内科の先生方にカーブスの筋トレで体の調子が良くなってきている事を話したところ内科の先生はくすりを飲むより運動した方がいいからね、の言葉で30年も服用していたすいみん薬、いままでの2錠から一錠へ、外科の先生も一日三回服用のくすりも2回に減らす事ができたのでコーチに話したところ頑張ったかいがありましたね。くすりゼロになるかもね、自分でもそう思えるようになりこの短期間での変化に驚いています。
わが家は四人家族です。息子夫婦共働き、二歳と五ケ月になる孫、私ババ四人です。孫が産まれた時は抱いてやる事もできず、悲しい事ばかりでした。当然息子夫婦にも迷惑のかけどうし、カーブスに通うようになって体も快復に向っており家の事で目のまわる忙しさですが頑張れるようになりおかげさまで孫ともあそべるようになりました。カーブスコーチの方々のおかげです。これからも筋トレがんばります、よろしくお願いします。
佳作
「カーブスを通して変わった私の毎日」
カーブスって
どんな運動?