二〇一四年の十一月に富山県O市の実家に住む八十六歳の母から電話がかかってきた。
「お父さんが最近おかしい。今日は何日かとか何曜日かとか何度も同じことを聞く。認知症じゃないだろうか」と言う。「多分認知症だと思う。年末に帰省した時に私が見て判断するから待ってて」と答えた。
 その矢先、十二月十六日に父から電話がかかってきて、「母ちゃんが脳梗塞で左半身不随になった」と言う。私は聞いた瞬間にうつとなった。認知症の父が半身不随の母をどうやって世話するのか。兄が一緒に住んでいるが、独身で毎日工場に働きに行っている。農繁期には土日や祝日は田んぼをしている。
 このようにうつになったが、なぜかその後時々躁になった。K市のクリニックに行くと、先生から「双極性障害Ⅱ型」と診断された。双極性障害は以前は躁うつ病と呼ばれていた。Ⅱ型はうつが長くて、躁は軽くて短い。因みにⅠ型は躁の時はクレジットカードで沢山買い物をしたり、人の話をさえぎってでも自分の話を沢山したり、攻撃的になったりする。うつだと家事ができなくなったり引きこもったり、死にたくなる。
 躁うつは自分ではコントロールできない。ずっとうつが続いたかと思うと、ある日目が覚めると躁になっていたりする。反対に躁を楽しんでいたのに、次の日には突然うつになったりする。きっかけがある場合もある。電話である人からショッキングなことを告げられてうつになることがある。かと思うと誰かと話しているうちに嬉しくなって、躁に転ずることがある。
 躁の時は毎日楽しくて、色々な所へ行ったり、色々な人を招いてお茶や食事を出したりする。エッセイを書いて地域新聞「タウン通信」の寄稿欄に投稿して掲載される。そのコピーをクリスマスカードに付けてあちこち一五〇通ほど送付する。
 うつの時は、三度の食事を作ったり洗濯したり買物に行ったりはできる。私はプロテスタントのクリスチャンで、主人と三人の子供達と息子のお嫁さんもそうである。家から徒歩三分の教会に家族で通っている。私の場合は、日曜午前の礼拝の他、水曜夜の聖書研究祈りの会と金曜午前の女性の集いにも出ている。うつでも教会には行ける。「今うつなので、早く抜けられるように祈って下さい」と教会の人達にお願いしている。
 ではうつだと何ができないかと言うと、掃除ができなくなる。もともと料理は好きで掃除は嫌いなのだが、ますますできなくなるので、見かねて子供や主人がやってくれる。皿洗いもいやになり、家族にしてもらう。最小限の家事を済ませると、とにかく布団に入りたくなる。決して眠れはしないので、「親の葬式や納骨式のし方がわからない」「遺産相続のし方がわからない」「老後は年金だけでは暮らしていけないのではないか」とあれこれ考え事をしてはうつうつとしている。生きているのがいやになる。
 そんな中、二〇一七年二月十四日のバレンタインデーに、躁だった私はカーブス西東京ひばりが丘店に入会した。同じ教会に通っているMさんと、Mさんのお母さんのSさんが、カーブスに通ってほっそりしてきたのを見たからだ。
 私は躁うつ病になってから太った。身長一五七センチで、以前は五十五キロだったのに六十六キロになった。なぜかと言うと、躁の時は元気で食欲旺盛だから太るし、うつだと食っちゃ寝食っちゃ寝するから太るのだ。BMI(肥満度を表わす体格指数)が二十五を越え、「太りすぎ」と医師に診断された。
 カーブスに入会する時に店長のAさんに「私は躁うつ病なので、日によって明るかったり暗かったりしますが、よろしくお願いします」と言っておいた。
 AさんもマネージャーのTさんも、四百人を越すメンバーの下の名前をすべて覚えていて、確信を持って「H美さん、こんにちは」とか「H子さん、お疲れ様でした」と声をかけている。私に限らず、女性は下の名前で呼ばれるのが嬉しいものだ。なぜなら、姓は普通は夫の姓であり、婚姻によって与えられたものだが、下の名前は親又は祖父母などが深い思いを込めて名付けてくれたものだからだ。女性は結婚して子孫や孫が生まれると、多くの場合は下の名前で呼ばれなくなる。ママ、お母さん、ばあさん等と呼ばれる。カーブスはアメリカ発祥だから下の名前を呼ぶ文化がある。カーブスがこれほど人気があり、全世界で店舗数を増やしているのには、この、下の名前を連呼することも一役買っていると思う。
 スタッフが元気よく挨拶してくれるので、メンバー同士も階段ですれ違いざまに「こんにちは」と挨拶する。私はうつの時でも火木土にカーブスに行くことにしている。気乗りしなくても、誰かと挨拶したり体を動かすのはうつに良いと思うからだ。時に雨の日などはサボることもあるが、「部活感覚で」行っている。
 私は中学高校大学とずっとバレーボール部だった。指導者が厳しくて、風邪をひいてようが足首を捻挫してようが「とにかく体育館に来て声出ししろ」という感じだった。中学高校ではほぼ毎日練習し、大学では火木土日が練習日だった。だから気乗りしない日でも「カーブスに行かなくちゃ」と思うのだ。
 一年も通っていると「カーブス仲間」ができる。私がひそかに「カーブスの妹」と名付けている人は、髪がセミロングのおかっぱで、目がぱっちりと美しく、笑った時に白くて美しい歯がずらりと並び、とても素敵だ。「カーブスのお母さん」と名付けている人は、ゆるやかにウエーブのかかった白髪が美しく、さんご色のビーズのネックレスをしている。「それ素敵ですね」と言うと、「娘が作ってくれたのよ。ほら、このバッグに付けているストラップも娘が作ってくれたの」と目を輝かせておっしゃる。母娘関係が良いことが伺われる。「カーブスの先輩」と名付けている人はバレーボールシューズをはいている。ショートヘアで私より少し年上で、いかにも元バレー部という感じの人だ。ストレッチを一緒にしながら「昔はよく顧問の先生が生徒を殴ったり蹴ったりしてたよね」と昔話に花が咲く。
 さて、カーブスに入って一年で体形がどう変わったかと言うと、体重が二キロ減り、太ももが五センチ腹周りが二センチ減った。その他にも良いことは色々ある。膝の痛みが軽くなり、階段の昇り降りがいやではなくなった。歩くのが好きになった。急ぐ時は走れるようになった。便通が良くなった。時間の使い方が上手になった。
 カーブスのモットーはThe power to amaze yourself.で、直訳すると「あなた自身を驚かせる力」だが、カーブスはこれを「明日の自分にきっと驚く」と訳している。私の体形はまだ驚くほど変わっていないが、躁でもうつでもカーブスに行くことによって、生活にリズムが生まれ、家でも教会でもない「仲間がいる所」ができて楽しい。これからも続けて、体重を五十五キロに戻すことを目指している。